月見といえば「秋」、なにより「中秋の名月」が一番!
なんて思っている日本人、多いと思います。確かにこの日(中秋)にはテレビに代表されるメディアもこぞって月見を話題にします。
しかし当然のことながら、お月様なんてのは年中空に浮かんでいます。期間限定の桜や紅葉とは違うのです。
後撰集にはこんな歌が残ります。
後326「月影は同じひかりの秋の夜をわきて見ゆるは心なりけり」(よみ人知らず)
そうそう、おっしゃるとおり。
「月といえば秋」なんてのは植えつけられた固定観念に過ぎません。
あなた自身の純粋な目で、いつもの月を眺めてみてください。四季折々、月のいろんな表情に気づくはずです。そのうえで自分が一番好きな表情を語り合えたら、それはとっても素敵なことだと思います。
ちなみに平安歌人、彼らは折々の月にどんな表情を見ていたのでしょう?
残念ながら古今集は秋の月に偏りがちなので、今回は新古今から、春夏秋冬の美しい月を少しご紹介します。
春の月
春、雪の間から若葉が芽吹くようになると、大気は冬の乾燥が嘘のように湿りを帯びて霞んでいきます。柔らかな霞みに包まれてあるかないか仄かに光る、春の月はこの姿こそが最上とされました。
新55「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき」(大江千里)
新57「難波潟霞まぬ浪も霞みけりうつるも曇る朧月夜に」(源具親)
夏の月
旧暦の夏は五月雨(梅雨)がど真ん中に位置します。暖かくなってようやく月見が楽しめると思ったのも束の間、無残にも分厚い雲に邪魔されてしまうのです。それでも雲の絶え間から僅かに見える、健気な光を歌人たちは慕いました。
新233「五月雨の雲の絶え間をながめつつ窓より西に月を待つかな」(荒木田氏良)
新237「五月雨の雲間の月の晴れゆくをしばし待ちけるほととぎすかな」(二条院讃岐)
秋の月
今に続く「中秋の名月」を愛でる風習は平安時代の初めごろから確認されています。中国から伝わったから、位置的に月見の目線にちょうどいいから、諸説いろいろありますが、その理由の一番は歌にあきらか。そう、澄み切った空そして大地に隈なく照れる。この清々しさに魅了されたのです。
新380「眺めわびぬ秋よりほかの宿もがな野にも山にも月や澄むらむ」(式子内親王)
新405「いづくにか今宵の月の曇るべき小倉の山も名をやかふらむ」(大江千里)
冬の月
草の霜、池の氷そして空には雪が。厳寒の季節には、月はこれまでとまったく違う表情を見せます。それは雪山に迷い込んだ人間を襲う雪女のごとく、冷淡ですべてを凍らす恐ろしさ。しかし彼女は背徳のビーナス、歌人らが一面の白銀にこの上ない美を感じていたのも事実です。
新601「露霜の夜半に置きゐて冬の夜の月みるほどに袖は凍りぬ」(曾禰好忠)
新607「冬枯れの森の朽葉の霜のうへに落ちたる月の影の寒けさ」(藤原清輔)
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四季折々いろいろな表情の月をご紹介しました。
しかしこれらもほんの一部に過ぎません、月は月相(望月、三日月、十六夜月)によって形も変われば、時間(宵、夜半、有明)によって色も変わります。
何より目に見えるものだけが月でしょうか?
かの松尾芭蕉はこんな言葉を残しています。
風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし。
(笈の小文)
自然に心を寄せ四季を友にすれば、辺りすべては花であり月である。
この先人の言葉を、私たちは大事にして生きていきたいです。
(書き手:歌僧 内田圓学)
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