和歌の鑑賞ポイント(上級編)〜新古今和歌集、見えないものを見る〜

先日「和歌の鑑賞ポイント」として、主に「古今和歌集」の楽しみ方をご紹介しました。和歌の味わい方が、きっと広がったと思います。
→関連記事「和歌の鑑賞ポイント 〜古今和歌集の楽しみ方〜

でも和歌の素晴らしさはこんなもんじゃありません。
「新古今和歌集」です。

万葉、古今はいつの日か。六代の勅撰集と源氏物語を経て、鎌倉時代の初頭には和歌は磨き抜かれた芸術に高められました。藤原定家や良経の溜息が漏れるような象徴歌、これを知らないなんてもったいないとしか言いようがない!
とはいえ、これらもまた一筋縄では鑑賞を許してくれません。歌の字面を追ってみてもなんだか曖昧模糊としてスッキリ腑に落ちない歌ばかりなのです。

きっと古今集とは違うテクニックが使われているんでしょ?
正解です。

しかし、古今歌がルールが分かれば解釈も容易であったのに対し、新古今歌はそれが出来ないのです。いわば「見えないものを見る力」、これが新古今歌の鑑賞には求められるのです。なんじゃそりゃ、ですよね。

ただ明確なルールはないにせよ、新古今歌を鑑賞するヒントはあります。今回はその和歌鑑賞の上級編として、新古今和歌集歌の鑑賞ポイントをご紹介したいと思います。

さて、そもそも和歌ひいては詩歌文芸ですが、絵画や音楽と違って感覚器官で直接知覚できる性質のものではありません。まして和歌は三十一文字による極小の文芸、その作品から作者の意図やテーマを正確に理解することは難しい、いや出来ないと言って過言でないでしょう。

ただこれは、直ちに悲観すべきことになりません。むしろ卓越した歌人は和歌の不完全さを逆手にとって、より深遠な作品を生み出しているのです。そして、それが特徴的なのが「新古今和歌集」なのです。ここで先に申し上げた「見えないものを見る力」は、新古今歌の「不完全さから生じる美を捉えるコツ」と言い換えることにしましょう。

ところで「藤原俊成」をご存知でしょうか?言わずもがな、新古今和歌集の撰者の一人であり名高い歌人「藤原定家」の父ですね。

俊成は優れた歌論「古来風躰抄」を残していますが、ここで俊成は当代の歌を仏教の「天台止観」を引き合いに例えています。

「この歌の良き、悪しき、深き心を知らむことも、ことばをもって述べがたきを、これ(天台止観)によそへてぞ同じく思ひやるべきことなりける。」
古来風躰抄(藤原俊成)

私は思うに、この時代の和歌はもはや世俗の言葉を持ってしては捉えられなかったのではないでしょうか?なぜって、見ようと思っても見えない、掴めど掴めない、複雑怪奇で神秘的な歌だらけなんですから。

と言うことで俊成に倣い、私も仏教用語を用いて、新古今歌の鑑賞ポイントをご紹介しようと思います。

新古今歌の鑑賞ポイント(その一)「一即多・多即一」

新147「吉野山花のふるさとあとたえて むなしき枝に春風ぞふく」(藤原良経)

極小の存在に無限を知る。
一輪の花は春そのものであり、この世の全てでもある。逆もまた然り。
世界を大きくみるか小さくみるか、それは自分次第。

新古今歌の鑑賞ポイント(その二)「色即是空、空即是色」

新363「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」(藤原定家)

あるようで、ない。ないようで、ある。「花」「紅葉」はあったのか、なかったのか? いったいどっちなんだ!!
真実は、ない。これぞまさに不完全美の極み。
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新古今歌の鑑賞ポイント(その三)「空仮中」

新38「春の夜の夢の浮橋途絶えして 峰にわかるる横雲の空」(藤原定家)

春の夜の夢… 途絶えて…
夢浮橋…
峰で別れる… 横雲の空…

夢、現実。叙景の裏にある叙情。またその裏にある叙景…
空と仮。永遠なる輪廻は「中」に帰する。

歌の「心」と「詞」は複雑に止揚して、この世にあらぬ「姿」を生じた。これを評して「幽玄」と呼ぶ。
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不完全がゆえに、無限の可能性、美の解釈を許す。新古今歌の素晴らしさ、凄みを感じて頂けたでしょうか。

今回、新古今歌の鑑賞ポイントとしてご紹介しましたが、正直申し上げてあんまり意味がありません。新古今歌はただ呆然と、「すげー」と眺めるのが最良の鑑賞なのです。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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