和歌の入門教室 「詠みぶり(和歌の七大詠法)を知る」

枕詞や掛詞など、和歌には独特の修辞法があります。しかしこれらがなくとも、和歌にはやはり和歌らしい作風というものがあるのです。今回は実例を交えて、和歌の作風いわゆる「詠みぶり」を探ってみましょう。

まずは上部のマトリックス図をご覧ください。
以前もご紹介した「正述心緒」と「寄物陳思」を横軸に、「狂言綺語」と「実相観入」を縦軸を据えています。ここに様々な詠みぶりをプロットして、その違いを直感的に理解して頂こうと思います。(ちなみに円の大きさは使用頻度の目安です)

※令和和歌所ではこれらを「和歌の七大詠法」と総称しています

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写実

「写実」とは主観を廃して目に見える風景を素直にあわらした歌です。万葉集などは写実歌風の手本とされ、明治の歌人達に愛好されました。とはいえ詠み人の主観が全くないかと言えば決してそんなことはありません。風景を切り取る(対象化する)という行為には主観的な価値判断が必ず背後にあるのです。実のところこの対象化の価値判断こそが、歌作りにおいて一番難しいです。

「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木」(藤原定頼)
「花の上にしばしうつろふ夕づく日入るともなしに影きえにけり」(永福門院)

誇張

写実と空想の間に位置するのが「誇張」です。現実の風景でありながら、ある一点を強調することで和歌らしい優美な印象を残します。

「月夜にはそれとも見えず梅花香をたづねてぞ知るべかりける」(凡河内躬恒)
「空はなほ霞もやらす風さえて雪げにくもる春の夜の月」(藤原良経)

空想

「空想」は妄想と置き換えてもいいかもしれません。つまりは現実を超越して、詠み人の理想美が爆発している歌です。

「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花」(凡河内躬恒)
「梅の花匂ひをうつす袖の上に軒漏る月の影ぞあらそふ」(藤原定家)

本歌取り

「本歌取り」は先の空想の根拠となる点で近似の関係にありますが、出展が明確です。

「春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空」(藤原定家)
「桜咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな」(後鳥羽院)

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比喩

和歌で「比喩」といえばいわゆる「見立て」が多くなります。直喩も暗喩もありますが、いずれにしてもレトリックの基本ですので、場合によっては野暮な仕上がりになります。

「霞たちこのめもはるの雪ふれば花な里とも花ぞ散りける」(紀貫之)
「ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」(在原業平)

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対比

対比は詩でいうところの「対句」表現です。字のごとく別々の現象を比較することですが、和歌ではその結果として“今を知る”というのがポイントです。新古今以後になると上句と下句の対比表現が際立つようになり、以後「連歌」や「配合」などに発展していきます。

「君がため春の野に出て若菜つむわが衣手に雪はふりつつ」(光孝天皇)
「春たてど花も匂はぬ山里はものうかる音に鶯そなく」(在原棟梁)

擬人

説明するまでもありませんね。月や船など和歌でも色々なものが「擬人化」されますが、特に鳥獣はその傾向が高いです。

「雪の内に春は来にけり鶯の凍れる涙今や解くらむ」(二条の后)
「嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」(西行)

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俳諧

優美な印象の強い和歌ですが、笑いを狙った滑稽な歌も詠まれています。ただあくまでも和歌的発想が前提なので、バリエーションは乏しいです。

「春の日のひかりにあたる我なれどかしらの雪となるそわびしき」(文屋康秀)
「吹くからに秋の草木のしほるればむべ山風を嵐といふらむ」(文屋康秀)

(書き手:歌僧 内田圓学)

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