月は身近でありながら不思議がいっぱいです。
例えば「月面」。
月は地球に対していつも同じ面(餅をつく兎)を見せています。理屈はこうですよね、月の自転と公転周期が同じ(27.32日)だから。でもなにゆえ、これが完全一致しているのか!?
不思議です。
また「月の引力」。
潮の干満を引き起こす力、すなわち「潮汐力」は月の引力が主因であることはご存知でしょう。
しかしこれ、当たり前に受け入れていますがすごくありませんか? 地球表面の7割を占める海水を、あんな遠い距離(38万km)から引っ張り動かしているのです。
人体にもおよそ6割の水分が含まれてるといいますが、これだってなんらかの影響を受けているかもしれませんよ。“トンデモ化学”なんて一蹴されるかもしれませんが、 女性の平均的な生理周期と月の朔望(29.5日)が近似しているという事実もあります。
とっても不思議です。
極めつけはこれ「月の季」。
和歌や俳句において、月は“秋のもの”として歌に詠まれます。でもこれ、おかしくありませんか? 月なんて基本、年中空に浮いているんですよ。秋の「お月見」だって違和感いっぱいです。十五夜つまり満月なんてのは毎月起こる現象なのに、中秋の十五夜を名月として特別視している。
すっごく不思議です。
これ、一般的に「中秋の頃は“空気が澄んでいる”から月が一番きれいに見えるから」と、解釈されています。でもそれじゃあ「冬」の方がもっとよさそうじゃありません?
思うに「中秋の名月」とは、「月の位置」がキーポイントではないでしょうか。
お月見といえば「宴会」ですよね。詩歌管弦を伴う貴族の宴会はもちろん、どこぞの立派な邸宅で行われるはずです。その邸宅での月見を想像するに、宴会の時間帯(※ゆうげの後、19~21時と仮定)に月の位置が低すぎてはいけません。塀に隠れて見えませんからね、ちなみにこれは夏の月。逆に位置が高すぎてもダメです、蔀戸の上に逃げて見えませんから。ちなみこれは冬の月です。
というわけで、宴会の時間帯にちょうどいい位置で鑑賞できるのが中秋の月、というわけです。
しかしこれ、「中春」も同じ条件になりますよね? うーん。「月は秋の必然性」の有無は非常に難問です。
困った時は日本文化のバイブル、「古今和歌集」に尋ねてみましょう。
古今和歌集に「秋以外の月はないのか?」といえば、あるんです。
【春】40「月夜にはそれとも見えず梅花 香をたづねてぞ知るべかりける」(凡河内躬恒)
【夏】166「夏の夜はまだ宵ながらあけぬるを 雲のいづこに月やどるらむ」(清原深養父)
【冬】316「大空の月の光しきよければ 影見し水ぞまづ凍りける」(よみ人しらず)
【冬】322「朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里にふれる白雪」(坂上是則)
このようにわずか4首ですが、秋以外の月を見つけることができました。
これをレアケースとみるか? 実はそうとも言い切れません。
古今集では「季のもの」、であるはずの「秋の月」も8首しか採られてないのです。
ちなみに春の「花(桜)歌」は約80首もありますから雲泥の差ですよね。「月は秋」である必然性は極めて薄くなってきました。
しかし! です。
「新」古今和歌集ではその様子が一変します。
新古今では「秋の月」がおよそ70首も採られています。そればかりか春の月が14首、夏の月が11首、冬の月は約30首も詠まれているのです。秋に限らず、「月」への関心がものすごく高いことが分かります。新古今の「花(桜)歌」の数は古今と同等にもかかわらず、です。
古今集の編纂は905年、新古今のそれは1205年、この300年の間に月への関心が飛躍したことになります。なぜか?
実はこれ、ある程度目星がついています。966年8月15日、村上天皇が催した「月の宴」です。
「栄花物語」第一巻名の由来ともなったこの中秋の月見は、以後宮中の正式行事として定番化されたといいます。正式な宴にはもちろん「歌」が求められますから、いきおい中秋の月の歌が増殖していった、というわけです。
ではここで、新古今の月歌を一部ご紹介しましょう。
【春】23「空はなほ霞もやらず風さえて 雪げにくもる春の夜の月」(藤原良経)
【春】24「山ふかみなほかげ寒し春の月 空かきくもり雪はふりつつ」(嘉陽門院越前)
【夏】233「五月雨の雲のたえ間をながめつつ 窓より西に月をまつかな」(荒木田氏良)
【夏】235「五月雨の月はつれなき深山より ひとりも出づるほととぎすかな」(藤原定家)
【秋】487「ひとり寝る山鳥の尾のしたり尾に 霜おきまよふ床の月影」(藤原定家)
【秋】488「ひとめみし野辺のけしきはうら枯れて 露のよすがに宿る月かな」(寂連)
これら、ある共通点で抜粋してみましたが分かります?
それは…
春夏秋季に、「雪」「雨」「霜」「露」といった冷えた景物と合わせて詠まれた月の歌です。面白いことに新古今の月は、四季を通じて冬のような情景を詠まれることが多いのです。
これが当季の「冬」で詠まれると、、、
【冬】601「露霜の夜半におきゐて冬の夜の 月みるほどに袖は凍りぬ」(曾禰好忠)
【冬】607「冬枯れのもりの朽葉の霜のうへに 落ちたる月の影の寒けさ」(藤原清輔)
【冬】608「さえわびてさむる枕に影みれば 霜ふかき夜の有明の月」(俊成女)
【冬】610「影とめし露のやどりを思ひいでて 霜に跡とふ浅茅生の月」(飛鳥井雅経)
【冬】639「志賀の浦や遠ざかりゆく波間より 凍りていづる有明の月」(藤原家隆)
恐ろしく冷酷な白の世界。でも凍てつくほどに美が研ぎ澄まされていく…
これぞ新古今の真骨頂!!
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新古今歌人たちにとって、華やかな「宴の月は秋」、文学的な「美の月は冬」と捉えていたのだと思います。だから四季を通じてさめざとした月歌を詠んだ。
こう考えると俳諧を求める「俳句」は別として、風雅を志向する「和歌」では、月は「冬のもの」とした方が望ましいかもしれませんね。
ペルセウス座やふたご座など稀に見える派手な流星群にくらべると、月は、いつもその辺をふらふらしているちょー地味な存在です。
でも、知れば知るほど輝きを増す… そんな魅力も、月の不思議のひとつです。
(書き手:歌僧 内田圓学)
でも直接見てはダメですよ!
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