序
来秋のNHK連続テレビ小説「ばけばけ」にちなみ、令和六年大晦日、松江にてある小泉八雲旧居を訪れて。
草々
八雲庵に明々庵、出雲そばの名店が点在する城山の地区に、小泉八雲の記念館と旧居があります。
一般的には『小泉八雲』と呼ばれるラフカディオ・ハーンですが、松江では愛情をこめて『へるん(遍留ん)さん』と呼ばれます。
※就任時の契約書にラフカディオ・ヘルンと記されたことから
「そこそこをそばの庵にかこまれて八雲の家はかたはらにあり」(圓学)
「へるんさん松江の人の呼ぶ声は今もかはぬなさけありけり」(圓学)
へるんは16歳の時に左目を失明しました(へるんのポートレートの大半が右向きの横顔なのはそれを隠すためです)。しかし残された目には、わたしたちには見えない霊的な世界そして古き良き日本の面影がありありと映っていたのでした。
「かたがたの影にはあれどしきしまの人には見えぬものぞ見えける」(圓学)
意外なことですが、へるんの松江時代はわずか一年と三か月ばかりでした。その後へるんは熊本・神戸・東京と移り住み54歳で亡くなりますが、彼が最も愛したのは松江でした。それは妻セツとの出会いの地というのもあったでしょうが、一番は松江・出雲に古く理想的な日本の面影がしっかりと残っていたからでしょう。
「ひととせとみつきばかりの松江には昔かはらぬ大和ありけり」(圓学)
大晦日。堀川の遊覧船も今日ばかりは客がまばらです。
「堀川をたえだえめぐる端舟のはしの身のまま年ぞ暮れぬる」(圓学)
おまけ
八雲旧家の隣には出雲そばの名店八雲庵があります。年越しそばでもひとつ、と思いましたが門は閉ざされて、いつもの行列はありませんでした。
「寂しくもあるか暮れゆくそばの屋はまつ人あらで差し固めらる」(圓学)
(令和六年十二月三十一日)
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