秋はただ今宵一夜の名なりけり同じ雲井に月は澄めども(西行)

今日も西行の月、詞書には「八月十五夜」とあり真打登場といった感じだ。『秋はただ八月十五夜を言う名であった、月はいつもと同じ空に澄んで(住んで)いるのだけれども』。和歌で秋といえば、七草にはじまり虫の音、紅葉などなど様々な自然風景が心を乱す季節である。しかし西行はこう言ってのける、十五夜の月ひとつあれば俺は十分。潔いまでの一途な信心、これこそが後世の数寄者を魅了したのだ。
ところで以前、「同じ雲居」に似た心を後撰集にみた。同じものを見て良し悪しが異なるのは「観念」の仕業である。先日の批評ではこれを一蹴したのだが、実のところこの観念が世界を一変させるのも事実だ。芭蕉は土に埋もれた巨石を見て「存命のよろこび※」と号泣した。

※「奥の細道(多賀城)」

(日めくりめく一首)

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