ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日も暮らしつ(山部赤人)

『宮中の人は暇なんだろうか? 桜を頭に挿してのんびり暮らしている』。なんともゆったりとして、嫌みなくらいに優雅を感じさせる歌だ。作者は山部赤人、赤人は「山柿の門」というように柿本人麻呂と並び称される万葉を代表する歌仙、そのとおりいかにも大らかな万葉ぶりである。しかし、この歌が採られたのは新古今集なのである。耽美世界の一群には似つかわしくない気もするが…。
新古今ではこの歌の後に在原業平の「花にあかぬ嘆きはいつもせしかども今日の今宵に似るときはなし」が続く。するとどうだろう、大宮人の優雅は儚さの裏返し、せめて桜の季節くらい楽しませくれ、といったような現実逃避の悲鳴にも映る。赤人の真意など容易に無視されるほど、鎌倉時代の貴族は落ちぶれ「軒端のしのぶ」※に成果てたのだ。

※「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり」(順徳院)

(日めくりめく一首)

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