ふりはへて人も問ひこぬ山里は時雨ばかりぞ過ぎがてにする(皇后宮肥後)

昨日、そして今日もであるが千載集あたりになると四季歌に込められた抒情というものが一層深くなってゆく。平安前中期の三代集歌人が去りゆく季節をほとんど形式的に惜しむのに対し、末期の歌人らは心の底から感情を寄せる、今日の肥後もその一例だ。『わざわざ訪れる人もいない山里は、時雨ばかりが過ぎないでいる』、時雨はむろん涙の比喩であろう。元来和歌は宮廷人同士の挨拶機能を主な役割としていたが、もはや個人の内面を吐露する文芸を強くしつつあった。

(日めくりめく一首)

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