橘の匂ふあたりのうたたねは夢もむかしの袖の香ぞする(俊成卿女)

昔の人を思い出すという花橘の香り、嗅いだことがあるだろうか? 梅や菖蒲もそうであろう、確かにリアルな自然を経験していた方が歌の共感力は高まると思う。しかしそんなもんなくたって、いやかえってないほうが歌に陶酔できる場合があ...

五月待つ花橘の香をかけば昔の人の袖の香ぞする(よみ人知らず)

「花橘」が詠まれたこの歌、古典ファンであればそらんずる方も多かろう。古今集では題知らず、よみ人知らずで採られるが、伊勢では第六十段に「むかし男(業平)」の歌として物語が載る。詳細は出所に譲るが、女(元妻)が酒の肴に出した...

五月雨の空だにすめる月影に涙の雨は晴るる間もなし(赤染衛門)

『雨は上がり、空には清らに澄んだ月が浮かぶ。しかし私はの気持ちは晴れることなく、変わらず泣き続けています』。五月雨の恋であるが昨日の躬恒より幾分優れていよう、「五月雨」(みだれ)を響かせて、苦悶の女を間接的に描いている。...

五月雨に乱れそめにし我なれば人を恋路に濡れぬべらなり(凡河内躬恒)

『五月雨のように、あなたへの思いに乱れ始めた私は、小泥ならぬ恋路にはまってずぶ濡れです』。「五月雨」は「涙」の暗喩となり「乱れ」という言葉の響きも相まって恋の抒情を掻き立てる。しかし「五月雨」と「乱れ」の掛詞を私は見たこ...

五月雨は晴れむとやする山の端にかかれる雲の薄くなりゆく(花園院)

『五月雨はやんだのかなぁ? 山に掛かる雲が薄くなってるよ』。小学生の絵日記だろうか? 違う、玉葉集に採られた花園院の御製歌だ。趣向はほとんど似ているが、昨日の歌には山の色に発見があった。今日のはどうだろう、写生というにも...

五月雨は晴れぬと見ゆる雲間より山の色こき夕暮れの空(宗尊親王)

詠み人の宗尊親王は異例の経歴の持ち主である。後嵯峨天皇の第一皇子というやむごとなき身分でありながら、招かれて鎌倉六代将軍となった。歴史上、皇族将軍としては初めての人である。これにより何が起こったか? 鎌倉に本格的な和歌文...

たまぼこの道ゆく人の言づても絶えてほと降る五月雨の空(藤原定家)

和歌とは基本的に決められた形式に沿って詠む、そういう文芸である。言葉の修辞や景物の設定、本歌取りなどを組み合わせて、その時々に相応しい歌を作るのだ。結果生まれるものは没個性の権化というもので、近現代人にはもはや退屈になっ...