夕されば衣手寒しみ吉野の吉野の山にみ雪降るらし(よみ人知らず)
二十四節季の「大雪」も過ぎて、朝夕の空気はすっかり冬の厳しさだ。『夕方になると袖のあたりから冷えてくる。きっと吉野山では雪が降っているのだろう』、「吉野」といえば桜のイメージが強いかもしれないが、百人一首の坂上是則歌※に...
二十四節季の「大雪」も過ぎて、朝夕の空気はすっかり冬の厳しさだ。『夕方になると袖のあたりから冷えてくる。きっと吉野山では雪が降っているのだろう』、「吉野」といえば桜のイメージが強いかもしれないが、百人一首の坂上是則歌※に...
「片敷きの袖の涙」、和歌では常套的な独り寝の情景であり、これが冬期ならば凍るというのが昨日の守覚法親王であり、既存観念の単なる延長であった。しかし良経は違う、同じモチーフを以てしてもいくらも退廃的で新古今的だ。これを成す...
今日の詠み人は守覚法親王。以仁王、式子内親王とは同腹兄弟で歌に通じた。その功績は自詠歌よりパトロン的目利きだろう、頻繁に歌会を催し家集を献上せしめ千載そして新古今へ流れる風を醸成した。「仁和寺宮五十首」(守覚は仁和寺第六...
「冬はつとめて」とはご高名な文句だが、これは平安貴族誰しもの共通理解であったのだろう。今日の歌も厳寒の早朝の美しさが描かれている。『朝日が射し込む氷の上に煙が立っている、まだ陽が昇ったばかりの淀の川岸に』。ちなみにこの煙...
定家の天才も偉大な父俊成のDNAあってこそだ、今日のような歌に出会うと本当に痛感する。『一方では凍り、その一方で砕かれゆく氷。暁に、山川の岩から身悶えの声が響く』。夜と朝、闇と光が交差する時、岩間の水は凍りつつ砕ける。そ...
泡沫、中世日本人にとって浮かんでは消えるあぶくこそ儚さの象徴であった。それが宿を借りたかのように一服の休憩をとる、氷の冷徹は時間をも止められるようだ。 さて、同じ「淀みに浮かぶ泡沫」でも鴨長明は写生が濃く平凡あるのに対し...
なんと残酷な季節だろう、花はおろか水さえも失せる冬という季節は。『岩間に氷の楔が打ち込まれたようだ、水滴も今は漏れてこない』。折々の花に心を寄せた平安歌人、森羅万象が氷に閉ざされてしまった今、いったい何を歌えばいいのか?...
『いつの間にかすっかり冬景色になった竜田川、散り落ちた紅葉を閉じ込めて薄く氷が張っている』、「たつた」に冬が「立つ」と「竜田川」を掛け、技巧と趣向が絶妙にバランスした見事な一首、現代人が受ける共感は古今そして新古今をも上...
今日の歌、適訳など全く不要で現代語の散文といっても通じそうだ。しかも詠まれた風景に目新しさはなく、ただ眼前を写生したにすぎない。それでも歌になる、それでも感動できるのが和歌。その力の源泉はどこにあるのか? 答えを明かせば...
時は春、京の都を旅立った時分はまだ青葉であったものが、秋となり辿り着いたここ陸奥の白川の関では紅葉となり散っている。ほとんど羇旅の風情だが秋の歌だ。採られたのは千載集、「関路落葉」の一群に今日の歌は並んでいる。他にも「須...
今日の歌、詞書によると殿上人(貴公子)たちが紅葉狩りで詠んだとある、場所は先日もご紹介した「大井川」だ。『枝の紅葉はそのままにして帰ろう、手折ったために散っても困るから』、さすがはやんごとなき貴公子、卑賤の者、例に出して...
『山守が斧で木を切り落とす音が響いている、頼むから紅葉の葉は避けて切ってくれよ~』。今ならチェーンソーの音だろうか、山守が振り下ろす斧の音に紅葉が散らないかと心配する、俳諧と閑雅を割ったような小意気で楽しい歌だ。詠み人は...
紅葉が映える川はなにも「竜田川」だけではない、今日の歌にある「大井川」も名だたる名所のひとつだ。嵐山の麓を流れ宇多、醍醐を始め歴代の天皇らの行幸を誘った。古都奈良の西を流れる竜田川より、平安の都人にはむしろ大井川こそ最も...
柞は「ははそ」と読む、今ではほとんど耳にしないがコナラやクヌギなど里山にありふれた落葉樹のことだ。「色なき風」は定家、水無瀬恋十五首歌合の調べ※1を想起させるが、情景をなぞれば貫之のそれ※2だと思い正す。だとした場合、風...