はかなしやさても幾夜かゆく水に数書きわぶる鴛のひとり寝(飛鳥井雅経)

山鳥や鹿にも雌雄別離の悲哀が詠まれるが、鴛の場合はその寂しさが甚大だ。『水に数を書く、なんて出来やしないことを毎晩続ける』それほどの虚しさだというのだ、鴛の独り寝は! 昨日の崇徳院に勝らずとも劣らない、孤絶の極まった歌で...

人目さへ霜かれにける宿なればいとど有明の月ぞ寂しき(具平親王)

『人の訪れまでも霜枯れ(離れ)た宿だから、今朝の有明の月は無性に寂しいよ』。試合開始前にノーサイドの笛が鳴る、今日のはそんなやるせない歌だ。詠み人具平は「ともひら」と読む、文芸に秀でた村上天皇の第七皇子、玉葉集に採られて...

久木生ふる小野の浅茅におく霜の白ろきを見れば夜やふけぬらん(藤原基俊)

さて、お分かりだろうが昨日から題が「霜」に移っている。『久木が生える野原の茅に置く霜の、その白さを見れば、ああ夜が更けたのだなぁ』。久木とは今でいう「アカメガシワ」で柏のように大きい葉が特徴だ。ただ霜が置くのは茅の方でそ...

かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける(大伴家持)

鳥は鳥でも今日のは鵲(かささぎ)、百人一首の六番歌で知らぬ者は少ないだろう。新古今に採られた家持歌だが、しかしこれは素直でない。「かささぎの渡せる橋」とは牽牛と織姫を結ぶ七夕の夜にあるもので、和歌の絶対のルールに従えば「...

浦人のひもゆふぐれになるみ潟かへる袖より千鳥なくなり(源通光)

『鳴海潟の漁師が紐を結ふ夕暮の時分になると、袖を翻す風の向うに帰る千鳥が鳴いている』。詠み人は源通光、兄に新古今撰者の一人通具がいる。しかし定家らを庇護した九条家の政敵、源通親の子であることがよほど恨まれたか、百人一首は...

浦松の葉ごしに落つる月影に千鳥つま訪ふ須磨のあけぼの(守覚法親王)

これまで鑑賞してきたように、「千鳥」はその見た目や動作から儚く頼りないものという意味を二義的に持つ。春夏秋、他の渡り鳥たちのような季節の到来を知らしめる存在感は皆無だ。だからこそ、今日のような歌が沁みてくる。『浦松の葉ご...

夕凪にとわたる千鳥浪まより見ゆる小島の雲に消えぬる(徳大寺実定)

藤原定頼※1に藤原顕輔※2、百人一首でも純風景歌の名手は存在感が薄い。今日の徳大寺実定もその一人だろう。百人一首歌※3では鳥の声の名残にぽつねんと浮かぶ有明の月を捉えた。今日の歌も趣向は似て夕凪の時分、浪間の千鳥が小島の...

須磨の関有明の空になく千鳥かたぶく月はなれも悲しき(藤原俊成)

「千鳥」と聞いてその姿を想起できるだろうか? 難儀する場合ネット検索してみよう、もれなく某お笑い芸人が一面にヒットする。閑話休題、千鳥は主に浜辺に生息する小型の渡り鳥であるが、実のところその名が示すとおり「千」つまり沢山...

「待つ人の今も来たらばいかがせむ踏ままく惜しき庭の雪かな」(和泉式部)

このような「雪」の歌もあるのかと感動を強くする、和泉式部である。これまでの歌で雪の基本的詠みぶりがお分かりいただけたと思う。それは全てが閉ざされた孤独の世界、凍てつく吹雪のみが吹きすさぶ冷徹の世界だ。それが今日の歌をみよ...

雪ふりて人も通はぬ道なれやあとはかもなく思ひ消ゆらむ(凡河内躬恒)

昨日と同じで今日も待ち人の歌。しかし和歌で待つといえばほとんど叶わぬ虚しき夢だが、これが雪で冷たく閉じられた里である、もう絶望的だ。『雪が降って誰一人通わない道だから、私の思いなど跡形もなく消えてしまうだろう』。詠み人は...

かきくもり天ぎる雪の古里を積もらぬ先に問ふ人もがな(小侍従)

今日の歌は雪中を行く人ではなく、待つ人が描かれている。『空一面が曇って雪が降る古里を、積もる前に訪れる人があればなぁ』。「かき曇る」と「天ぎる」はともに空一面の闇を意味する、もちろんそれだけの雪空を強調しているのだが、待...