桜咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬいろかな(後鳥羽院)
『桜が咲いた。遠くの山鳥のしだり尾のように、なが~くなが~く何日も眺めても見飽きないなぁ』。詞書きには「釈阿、和歌所にて九十賀し侍りしをり」とあり、藤原俊成のいっそうの長寿を言祝んだ歌である。しかしこの大らかさは後鳥羽院...
『桜が咲いた。遠くの山鳥のしだり尾のように、なが~くなが~く何日も眺めても見飽きないなぁ』。詞書きには「釈阿、和歌所にて九十賀し侍りしをり」とあり、藤原俊成のいっそうの長寿を言祝んだ歌である。しかしこの大らかさは後鳥羽院...
『宮中の人は暇なんだろうか? 桜を頭に挿してのんびり暮らしている』。なんともゆったりとして、嫌みなくらいに優雅を感じさせる歌だ。作者は山部赤人、赤人は「山柿の門」というように柿本人麻呂と並び称される万葉を代表する歌仙、そ...
温暖化の影響だろう、桜の開花は年々早まっているそうだ。1980年代までは東京でも4月の開花があったが、近年は3月下旬が通常となっている。これに伴い風景が一変した行事がある、入学式だ。かつては満開の花の下新たな一歩を踏み出...
今日の歌はなんだか新鮮! と感じられる人は和歌ファンであるが、それが百人一首歌に集中している人かもしれない。和歌史的に百人一首の功罪はいろいろあれど、とくに罪深いのが八代集以後の歌、歌人が知られなくなった点だ(百人一首は...
そのままだ。定家ら新古今歌人のいわゆる「達磨歌」とは違う意味で説明不要である。西行の秀歌の大半は力んだところがまったくない、ただ思うままを三十一文字にしただけだ。例えば定家の歌は言葉が重なるほどに美しさが乗じていくが、西...
いつの時代も、名が残る優れた歌人はチャレンジングである。貫之しかり定家しかりである。以前、この両名をつなぐ位置に今日の詠み人、源俊頼がいるとご紹介した。彼は勅撰和歌集の変遷が止んだ平安中後期いわば和歌の第二暗黒期を生きた...
その時は来た! 花はついに咲き初める。待ちに待った思ひとはうらはらに、和歌ではその美しさを直接称えることはしない。多くは霞に隠して影ばかり匂う様を歌うとか、清らなる白さを類似のものに見立てて詠む。今日の歌ではそれが山の峡...
『ああ、気になる、気になる…。愛しい桜よ、お前はどこの山から咲き始めるのか。近くに見えるこちらの山かもしれない、行ってみようか?? いや、行ったとたんに裏のあちらの山から咲くかもしれないぞ、、。去年はどうだったけかな? ...
詠み人の堀河はその名のとおり、待賢門院璋子に仕えた女房歌人である。待賢門院と言えばいわくつきの人だ。養父は白河院、鳥羽院の中宮となり崇徳院そして後白河院の母。あの西行の出家にも関係しているとかいないとか…。さてもそのよう...
もしも願いが叶うなら春の桜の下で死にたい、二月の満月のころに。二月(旧暦)の十五日は釈迦入滅の日であり、花と月は西行が生涯追い求めた数寄の象徴でもある。すなわち歌と仏という、ある種の二律背反する道を一途に歩んだ、歌僧西行...
崇徳院というと、まず「瀬をはやみ」※の歌が先に浮かぶであろう。これは式子内親王や源実朝にも言えることだが、現代では和歌=百人一首になっており、これに採られた歌が歌人の印象をほとんど決めてしまう。現代人に和歌に親しむきっか...
今日も「帰雁」である、が! ついにこの言葉が表れた、「桜」だ。『羽を交わしながら空の旅路を行く雁、あの白雲は桜の花道なんだ』。白雲と桜、これらは清らなる白さを互いに称え見立て合う。詠み人は藤原為家、言わずと知れた定家の子...
いちいち説明を加えると野暮になるというのが新古今の名歌であるが、仕方なく解説をさせていただこう。歌は帰雁のワンシーンである。ここで雁はすでに故郷へ向け飛び立っている。空は凍てつき、さながら雲に霜が置いたように行く先は見え...
花と違って、雁の帰郷へ寄せる情趣を私たちはほとんど持ち合わせていない。対して平安歌人は、これに心からの思いを寄せた。『春霞が立つやいなや、そそくさ立ち去ってゆく雁。お前はこれから咲く花の美しさを知らないんだろう』。呼び止...