花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで(後鳥羽院宮内卿)
宮内卿はわずか20歳にして亡くなったと言われる夭折の歌人、残る歌も少ないがそれでも勅撰集に四十三首採られた名手だ。彼女の歌風は唯一無二といった感じで、独特の感性が際立っている。表現多彩な現代短歌と比較してしまえばさほどで...
宮内卿はわずか20歳にして亡くなったと言われる夭折の歌人、残る歌も少ないがそれでも勅撰集に四十三首採られた名手だ。彼女の歌風は唯一無二といった感じで、独特の感性が際立っている。表現多彩な現代短歌と比較してしまえばさほどで...
昨日の業平と趣向が似ているが、もちろんそれを十分意識して詠まれた歌だ。『桜色をしていた庭の春風はもう跡形もない。訪う人がいれば雪とさえ思うほどに花は散ってしまった』。桜色の春風という言葉が美しく響く。 詠み人は難解歌人の...
『お前んちの桜、今日来なければきっと明日は雪のように散ってしまうだろうよ。そりゃ本物の雪じゃないから消えないと思うけど、そんなの花と言えるかい?』 唐突感があったと思う。それもそのはず、この歌はある女主人への詠みかけに応...
そろそろ桜も散り始めた。春夏秋冬四時を越えてようやく出会えた花の中の花、次に相見るのはいつであろうか? もちろん一年後、また苦しい年月を経ねばならない… と、普通の人間は安易に考えることだろう。だがこの人は違う、西行とい...
昨日の友則に続き、百人一首にも採られた桜歌である。この歌で和歌の魅力に憑りつかれた人も多いかもしれない、なぜなら私がその一人なのだ。和歌は「詞」と「心」によって構成される、そしてこのふたつがバランスしてこそ歌は「いい歌」...
桜の和歌というと、まずこの歌を思い浮かべる人も多いのではなかろうか。百人一首にも採られ中学校の教科書にも載る紀友則のいや和歌の代表歌だ。「穏やかで長閑な春の日」と「慌てるように散ってゆく桜」、この対比が見事に詩情を生み出...
能因といえば西行に先んじた旅の歌人、「古今著聞集」にある白河の関の逸話で有名だ。修行のため陸奥へ行った、と嘘をついて詠んだ歌※。それがバレないように色を黒く塗った(日焼けのつもり)というやつだ。なかなかチャーミングなお人...
これぞ京極派! というべき手本のような歌だ。『桜の花びら、そのうえにやわらかく夕日が差す。それは束の間、日は瞬く暮れてその影は消えてしまった』。微妙で繊細、京極派が歌わなければだれも気づかなかったような美。これを行き詰ま...
『泣き濡れた私の袖を、春風はやさしく愛撫する。桜の匂い、それは枕にも移って。まるで夢の中でも花が舞っていたよう』。 また野暮になった… 何度も言うが芳醇な新古今歌は適訳に向かない。しかしこの歌は「春下」に採られているが、...
順徳院は百人一首を最後を飾る※が、現代の存在感はいまいち薄い。やはり父が偉大すぎたのだろうか? 後鳥羽院とともに討幕を企てるがあえなく失敗、配流先の佐渡で無念の死を遂げた。ちなみ定家が編んだ「百人秀歌」にはこのふたりが採...
京極為兼は言わずもがな、停滞が明らかであった中世和歌の局所的ではあったが最後の輝きを放った「京極派」の生みの親だ。宗家二条派に抗戦すべく、はやくも三十代で歌論「為兼卿和歌抄」を著したが、理想の歌風が成り、勅撰集に結実する...
今日の歌人は俊恵法師。父は金葉集の選者「源俊頼」、方丈記などの執筆でも有名な「鴨長明」は歌の弟子であった。父とは17歳で死別しそのまま仏門に入ったというが、もし彼が堂上歌壇に留まっていたら御子左家が勃興する機会はなかった...
『花が咲いて、今日は実に春らしくうららとしている。あぁ、山の霞の奥には鳥たちの囀りが聞こえる』。どうであろう? 私はこの歌を聴くとすご~く幸せな気分になる。昨日の業平とは正反対に、ただただ幸福感に満たされる。 詠み人の伏...
咲くまでは、いつ咲くのだろうと気にかかり、咲いてはいつ見に行こうと気にかかり、散ってはいつ散り果ててしまうのかと気にかかる。桜というのはあってありがたいが、これのおかげで不要なストレスを抱かされ続ける、そんな罪深い存在で...