山吹の花咲きにけり蛙なく井手の里人いまや問はまし(藤原基俊)

春暮れて桜もとうになくなった。それではということで余所に目をやると、まず飛び込んでくるのが山吹の花だ。山吹は蛙(歌語では“かはづ”と発する)との取り合わせが一般的だが、これは河岸に咲く山吹が一興とされたからだ。ではなぜ山...

花散れる水のまにまにとめくれば山には春もなくなりにけり(清原深養父)

花が散って川面を群れて流れるのを「花筏」という、なんとも美しいネーミングだが、それが本当に美しいかは疑わしい。両岸をコンクールに囲まれた川、例えば神田川などは台無しでむしろ花が辱めを受けているようだ。ちなみに「ハナイカダ...

ふしわかぬ春とやなれも花の咲くその名も知らぬ山の下草(花園院)

『桜の訪れを待ちわびたのはいつの日か、花はとっくに散り落ちて梢にはみずみずしい緑が風に靡く。足元は春日を浴びて盛んに繁る草々が夏を誘う。見よ!これまで気に留めなかった花がある。草間を分けて生ふる名も知らぬ小さくて美しい花...

今朝みれば宿のこずゑに風すぎて知られぬ雪の幾重ともなく(式子内親王)

式子内親王は劇場的な恋歌の名手として理解されているかもしれないが、実のところその個性・歌力が真に発揮されるのは四季歌だ、私はそう思っている。それは同時代に勃興した定家や俊成卿女に見られる物語的風景歌ではなく、高精細な目を...

咲けば散る咲かねば恋し山さくら思ひたえせぬ花のうへかな(中務)

今日の詠み人、中務をご存じだろうか? 百人一首には採られていないが、三十六歌仙にも選出され勅撰集に六十首以上も採られた実力者だ。その歌風は女貫之というような母「伊勢」に一歩も引けを取らぬ、正統的な古今調を放つ。自身の歌集...

吉野山花のふるさとあと絶えてむなしき枝に春風ぞふく(藤原良経)

かつて雪と詠まれることが多かった吉野山が、桜と合わせられるようになったのは平安も中期以降だ。これは平安時代になって盛んになった修験道が関係している。吉野はその聖地として崇められ、信仰の証として桜が献木され続けてきたのだ。...

さくら花ぬしを忘れぬ物ならば吹きこむ風に言伝はせよ(菅原道真)

『桜の花よ主を忘れないのなら、吹き込んでくる風に伝言しておくれ』という歌、なんだか似たような趣向を思い出さないだろうか? 例えばこれ『東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな』。桜と梅の違いはあれ、どちらもそれを...

桜花けふよく見てむくれ竹のひとよのほどに散りもこそすれ(坂上是則)

今日の詠み人は坂上是則である、その氏名で分かるとおり征夷大将軍「坂上田村麻呂」を祖先に持つ。田村麻呂は大納言正三位まで昇ったが、是則は従五位下とかろうじて貴族の面目を保った。これは家持や貫之にも共通することだが、8~9世...

花さそふ名残を雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風(飛鳥井雅経)

飛鳥井雅経は百人一首では参議雅経の名で採られ歌道飛鳥井家の祖であるが、もしかしたら流蹴の達人としての方が知られているかもしれない。彼の妙技は後鳥羽院をも魅了し、「蹴鞠略記」という著書も残した。ちなみに蹴鞠だが、中大兄皇子...

木伝へばおのが羽風に散る花をたれにおほせてここら鳴くらむ(素性法師)

趣向に富んだ歌だ。『木から木へ伝う羽風によって散る花を、いったい誰のせいだと言ってあちこちで鳴いているのだろう?』。主語はうぐいす、花を散らすのは己自身、それを知らぬ鳥の哀れを詠んだ歌である。 詠み人は素性法師、彼は古今...

山ざくら千々に心の砕くるは散る花ごとにそふにやあるらん(大江匡房)

大江匡房は小倉百人一首で権中納言匡房の名で知られる。それに採られた桜歌※は、趣向が平凡でまったく記憶に残らない。比べて今日の歌は面白い。『桜が散る。心が千々に砕けるほどつらいのは、散る花に心が寄り添っているからだろうか』...

さくら花夢かうつつか白雲のたえてつれなき峰の春風(藤原家隆)

『桜の花が見えたのは夢か現実か。白雲の花は消えてしまった。峰には花を散らす春風が吹いている』。難解な新古今歌のなかでも特にそうであるような歌だ。詠み人の家隆は定家のライバルとして知られるが、どちらがより新古今歌的かと問わ...

さくら花ちりぬる風のなごりには水なき空に浪ぞたちける(紀貫之)

『桜の花が散った風の後には、水のない空に浪が立っているようだ』。適訳はこうだが少々説明を加える。まず花の色を見立てて「白浪」とする場合がある、これは桜の花が風に舞い散って白浪が立っているように見える、水なんてない空なのに...