五月雨の空だにすめる月影に涙の雨は晴るる間もなし(赤染衛門)

『雨は上がり、空には清らに澄んだ月が浮かぶ。しかし私はの気持ちは晴れることなく、変わらず泣き続けています』。五月雨の恋であるが昨日の躬恒より幾分優れていよう、「五月雨」(みだれ)を響かせて、苦悶の女を間接的に描いている。...

五月雨に乱れそめにし我なれば人を恋路に濡れぬべらなり(凡河内躬恒)

『五月雨のように、あなたへの思いに乱れ始めた私は、小泥ならぬ恋路にはまってずぶ濡れです』。「五月雨」は「涙」の暗喩となり「乱れ」という言葉の響きも相まって恋の抒情を掻き立てる。しかし「五月雨」と「乱れ」の掛詞を私は見たこ...

五月雨は晴れむとやする山の端にかかれる雲の薄くなりゆく(花園院)

『五月雨はやんだのかなぁ? 山に掛かる雲が薄くなってるよ』。小学生の絵日記だろうか? 違う、玉葉集に採られた花園院の御製歌だ。趣向はほとんど似ているが、昨日の歌には山の色に発見があった。今日のはどうだろう、写生というにも...

五月雨は晴れぬと見ゆる雲間より山の色こき夕暮れの空(宗尊親王)

詠み人の宗尊親王は異例の経歴の持ち主である。後嵯峨天皇の第一皇子というやむごとなき身分でありながら、招かれて鎌倉六代将軍となった。歴史上、皇族将軍としては初めての人である。これにより何が起こったか? 鎌倉に本格的な和歌文...

たまぼこの道ゆく人の言づても絶えてほと降る五月雨の空(藤原定家)

和歌とは基本的に決められた形式に沿って詠む、そういう文芸である。言葉の修辞や景物の設定、本歌取りなどを組み合わせて、その時々に相応しい歌を作るのだ。結果生まれるものは没個性の権化というもので、近現代人にはもはや退屈になっ...

楝(あふち)咲くそともの木かげ露落ちて五月雨はるる風わたるなり(藤原忠良)

紫陽花は八代集には見えない、そのようにご紹介した。では平安歌人は憂鬱な梅雨の季節、何に心を寄せたのか? その答えのひとつが「楝(あふち)」である。センダンと言い換えた方が分かりいいだろうか、初夏に紫色の小さい花をつける。...

紫陽花の八重咲くごとくやつ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ(橘諸兄)

今日は紫陽花の歌をご紹介しよう。紫陽花はなかんづく雨に濡れた様が愛でられ、日本の初夏になくてはならぬ花となっている。むろん和歌に詠まれて当然という向きもあろう、しかし実際は全くそうでないのである。躑躅は辛うじて古今集の恋...

唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ(在原業平)

いずれ菖蒲か杜若というが、和歌でこのふたつを見分けるのは易しい。歌に詠まれる菖蒲はいわゆる「花菖蒲」ではなく「根菖蒲」であるため、違いが一目瞭然なのだ。しかしながらこの歌、杜若が詠まれているのだが、それが一見して見当たら...

思ひいづるときはの山の岩躑躅いはねばこそあれ恋しきものを(よみ人知らず)

花の季節はやはり春なのか、和歌の夏は鳥(ホトトギス)や雨にほとんど占められて、かろうじて卯の花や花橘が詠まれるくらい。存在は極めて薄い。しかし我々が夏に連想する躑躅(つつじ)や紫陽花は詠まれないのかというと、そんなことは...

夢よりもはかなきものは夏の夜の暁かたの別れなりけり(壬生忠岑)

昨日の後鳥羽院の歌、現実のむなしさにせめて夢で逢えたいという哀訴が込められていた。だが果たして現実に逢瀬を遂げたところで、それは本当に幸福なのだろうか? 出会いと別れは表裏一体、夜が必ず来るように朝もまた必ずやって来る。...

まだ宵の月待つとても明けにけり短き夢の結ぶともなく(後鳥羽院)

『日暮れの月を待っていたのに、あれよという間に夜は明けてしまった。短い夢を見ることもなく』。夏の短夜の歌であるが、終始恋の匂いが漂っている。月は男の暗喩、待つ女はそれを見ることなくはかなく夜は明けてしまうのだった。こんな...

短夜のふけゆくままに高砂の峰の松風吹くかとぞきく(藤原兼輔)

「高砂の峰の松風」には何やら新古今風の艶なる声調を覚えるが作者は藤原兼輔、後撰集に採られた歌である。ということで内容はいたってシンプル、「夏の夜、深養父が琴ひくを聞きて」という詞書に明白だが、『美しい琴の調べを更けゆくほ...

過ぎぬるか夜は寝覚めのホトトギス声は枕にある心地して(藤原俊成)

季節は穏やかでありながら、移ろひをやめぬ。『もう朝になったのか? 寝覚めの枕にはホトトギスの声が聞こえるようだ』。夢か現か? 寝覚めの際はおぼろげで、ホトトギスの声が頭に残る。それは恋の名残、夢の中でしかあえない最愛の人...