萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るになきがはかなさ(源実朝)

『日暮れまで僅かに残っていた庭の萩の花、月が出てきたので見に行ってみるとなくなっていた。ああ悲しいなあ』。他愛もない歌である。しかしすごく引っかかる歌である。花の儚さを歌にするのならこの時期なら朝顔があるだろう。しかし実...

秋萩の古枝に咲ける花見れば本の心は忘れざりけり(凡河内躬恒)

『萩の古い枝に咲いている花を見ると、あなたへの真心は昔と変わらないことに気づく』。歌のポイントは「古枝」である、萩の枝はいくら古びようと、そこに咲く花の美しさは不滅だ。詠み人は凡河内躬恒、萩の花に仮託した口説きの文句であ...

朝な朝な露おもげなる萩が枝に心をさへも掛けてみるかな(周防内侍)

今日の歌にも詠まれているが、秋といえばあらゆるものに置くのが「露」だ。ところで主題が変わったことに気づいただろうか? 昨日までは「荻」で今日のは「萩」だ。「くさかんむり」の下が前者は「けものへん」、後者は「のぎへん」であ...

夕まぐれ荻ふく風の音きけば袂よりこそ露はこぼるれ(藤原季経)

昨日ひとつの問題提起を行った。お約束ばかりの個性なき文芸、伝統的和歌に如何なる価値があるのか、と。私の見解を述べよう、実は芸術など表現活動全般に個性を求めることこそ、現代人が抱える思考停止の固定観念なのだ。和歌はそもそも...

荻の葉に言問ふ人もなきものを来る秋ごとにそよと答ふる(敦輔王)

昨日、荻と秋風は組み合わせて詠むものだとご紹介したが、実はもう一つのお約束が荻にはある。それが「そよ」だ。お察しがつくと思うが、穂が風に靡くさまのオノマトペ(擬音)である。これを「そうよ」つまり「同意」の意として合わせ詠...

さらでだにあやしきほどの夕暮れに荻ふく風の音ぞきこゆる(斎宮女御)

『そうでなくても不思議なほどの夕暮に、荻を吹き渡る風の音がする』。「荻」は秋の七草に数えられないが、初秋の風景には欠かせない。 秋風の歌を振り返ってみよう、崇徳院の歌にも風になびく荻が詠まれていることに気づく、和歌でこの...

ありとても頼むべきかは世の中を知らするものは朝顔の花(和泉式部)

昨日、憶良が詠んだ秋の七草をご紹介した。ご存知の方も多かと思うが、そこでの「朝顔の花」は今でいう「桔梗」であるというのが通説になっている。私たちが知る朝顔が伝来したのは平安時代以降なのだ。では平安時代も中期にあたる後拾遺...

七夕のと渡る舟の梶の葉にいく秋かきつ露のたまづさ(藤原俊成)

歌に明らかだが、かつて七夕で願いを書きつけたのは短冊ではなく「梶の葉」であった。ただ、今やそこにかける願いに制限などないが、そもそもは七夕伝説にちなんで織物や裁縫の技術上達を願ったものが、やがて書法などの上達に変わり、今...

七夕の天の羽衣かさねてもあかぬ契りやなほ結ぶらむ(皇后宮肥後)

これほど艶めかしい七夕歌があったろうか。『何度も何度も重ねても、ふたりは満足できない恋を結んでいるのだろう』。「重ねる」はもちろん「年に一度の逢瀬」であるが、加えて互いの「体」を思うとき、牽牛と織女は彼方天体のアルファ星...