さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮)

『寂しさってのは、その色とは無縁であった。真木立つ山の秋の夕暮れよ』。言わずもがな、三夕(さんせき)の誉れ高い寂蓮の一首である。秋の夕日に照る山紅葉は深い情趣を誘う、しかし心の琴線に触れていたのは色ではなく「夕暮れ」その...

秋ちかう野はなりにけり白露のおける草葉も 色かはりゆく(紀友則)

一見すると単に「白露」の歌かと思うかもしれない。しかしそうではない、今日の歌にも秋の七草が詠まれている。わからない方にヒントを出すと、詠まれているのは「桔梗」だ。それでもわからない? 仕方あるまい、答えを披露しよう。初か...

なに人かきて脱ぎ掛けし藤袴くる秋ごとに野辺を匂はす(藤原敏行)

和歌に登場する景物はその類型化が徹底している。これまでご紹介した「女郎花」や「薄」などによっても、それが如実に分かったはずだ。「藤袴」の場合、名前と特徴がそれを決めている、つまり着物の「袴」とポプリにした強い「芳香」を詠...

逢ふことをいざ穂に出でなん篠薄しのび果つべき物ならなくに(藤原敦忠)

「月」はこれくらいしておいて、今日からは秋の七草をご紹介しよう。まずは「薄(すすき)」だ。ところで秋の月というと大抵セットで「薄」(おまけに団子)が登場してくるが、実のところ和歌で月と薄とが合わせて詠まれることはほとんど...

いかばかり嬉しからまし秋の夜の月澄む空に雲なかりせば(西行)

今日の歌がいかに素晴らしいか、昨日の慈円と比較すれば理解が早い。『どんなにか嬉しいだろう、秋の夜の月が澄んだ空に雲がなかったら』、適訳以上の真意はこの歌に全くない。ともかく秋の月の様を隈なく眺めていたいという慕情の一途た...

憂き身にはながむる甲斐もなかりけり心に曇る秋の夜の月(慈円)

秋の月、この同一のモチーフをいくつか鑑賞することで、図らずも歌人の個性というものを感じてきた。和歌とは極めて類型的でごく僅少の詩文である、しかし必ずそこに人間性が宿るから不思議だ。今日の詠み人は慈円、百人一首の坊主歌でも...

空清く月さしのぼる山の端にとまりて消ゆる雲のひとむら(永福門院)

今日の詠み人は永福門院。何気ない日常の風景も、ひとたび彼女にカットされれば見たこともない多様な色彩が潜んでいたことに気づかされる。しかし今日の歌はどうだろう、月と雲の馴染みが悪くいつも見られた繊細な色合いが浮き出てこない...

衣手は寒くもあらねど月影をたまらぬ秋の雪とこそ見れ(紀貫之)

昨日のがいかにも定家だとしたら、今日のはいかにも貫之だ。『着物の袖は寒くないけど、月の光は積もらない秋の雪のように見える』。白々とした月明かりを雪に見立てる古今的常套句、「衣手は寒くあらねど」という理知的発想が甚だわざと...

さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかた敷く宇治の橋姫(藤原定家)

『筵を敷いて待つ夜は更けて風も冷たい、月を慰めに独り寝する宇治の橋姫』。これぞまさに定家というような妖艶な一首だ。言うまでもなく歌は「橋姫伝説」を下敷きにしている、嫉妬に狂った女が鬼になる話を聞いたことがあるだろう。しか...

鳰の海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり(藤原家隆)

月の美しさはこのようにも表現できるのか、藤原家隆である。月の光が色づく、これだけでも耳をくすぐる描写であるが、それが浪の花つまり白浪に映り、その色に秋を見つける。風景を鮮やかに移しながら、その残像を重ねて描く幽玄の世界。...