【百人一首の物語】三十二番「山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり」(春道列樹)

三十二番「山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり」(春道列樹) 取ってつけたような風雅であるが、嫌味がない。それは名前のせいだろうか、“春道列樹(はるみちのつらき)”とは歌詠みが宿命というべき美しい名だ。し...

【百人一首の物語】三十一番「朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪」(坂上是則)

三十一番「朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪」(坂上是則) 三十一番は坂上是則、その名でわかるとおりかの征夷大将軍「坂上田村麻呂」の子孫にあたります。田村麻呂とえば平安時代初期の蝦夷征討において多大な功績を...

【百人一首の物語】三十番「有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかり憂きものはなし」(壬生忠岑)

三十番「有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかり憂きものはなし」(壬生忠岑) 壬生忠岑は古今撰者の一人。四十一番忠見の父として知られるが、その実彼の出生はベールに包まれており官位も不明、貫之(従五位上)、躬恒(六位程度...

【百人一首の物語】二十九番「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花」(凡河内躬恒)

二十九番「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花」(凡河内躬恒) ついに古今集撰者がお目見え、凡河内躬恒だ。古今の撰者はあと三人、三十番の壬生忠岑と三十三番の紀友則そしてご存知三十五番の紀貫之であるが、とりわ...

【百人一首の物語】二十八番「山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば」(源宗于朝臣)

二十八番「山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば」(源宗于朝臣) 「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候…」※1とは正岡子規による歴史的文句だが、なにも古今集における“下手な歌よみ”は貫之に限ら...

【百人一首の物語】二十七番「みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ」(中納言兼輔)

二十七番「みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ」(中納言兼輔) 古典などというとなにやら深淵広大なる山脈を思わせるが、存外知ってしまえば近所の裏山のごとく身近な存在に変わるだろう。この中納言兼輔(藤原兼輔)...

【百人一首の物語】二十六番「小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ」(貞信公)

二十六番「小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ」(貞信公) 平安時代とはまさに表向き平安であって、その前半、歴史に残る武力紛争は平将門、藤原純友の乱くらいであった。この時代の権力はもっぱら謀略によって定ま...

【百人一首の物語】二十五番「名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな」(三条右大臣)

二十五番「名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな」(三条右大臣) 「王朝の幕開けと伝説歌人」、「失意に乱れる純血の貴公子」と続いた王朝物語はここらで新たな章を開く、それはさしずめ「聖帝の輝き」とでも言う...

【百人一首の物語】二十四番「このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」(菅家)

二十四番「このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」(菅家) 大江千里に続いて学者がご登場、菅家こと菅原道真である。ところで大江の血筋は栄えて後には大江匡房(百人一首では権中納言匡房)なる異才も生んだ、和泉式部...

【百人一首の物語】二十三番「月みれば千々にものこそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」(大江千里)

二十三番「月みれば千々にものこそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」(大江千里) 念のため断っておくが千里は「ちさと」と発する。間違って「せんり」などと読めば格好悪いふられ方をされてしまうやもしれんのでご注意いただきた...

【百人一首の物語】二十二番「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ」(文屋康秀)

二十二番「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ」(文屋康秀) 「和歌」というと大抵の人間が貴族の雅な恋愛や美しい四季への真心のみで仕上がっているかのように捉えている。ちまたの指南書がそのように喧伝している...

【百人一首の物語】二十一番「今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」(素性法師)

二十一番「今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」(素性法師) 素性法師の父はあの僧正遍照、桓武天皇の曾孫にあたり確かな血統ゆえ殿上人にまで昇る。しかし父の助言もあって若くして出家、その後は「歌」をつうじ...

【百人一首の物語】二十番「わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」(元良親王)

二十番「わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」(元良親王) 悲劇の貴公子、その最後を飾るのが二十番の元良親王だ。父は陽成院、譲位の七年後に生まれた第一皇子であったが、皇統が光孝系に移ったためその地位に...

【百人一首の物語】十九番「難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや」(伊勢)

「難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや」(伊勢) 伊勢守従五位上藤原継蔭の娘、それが十九番の伊勢です。女流がとぼしい古今和歌集において小町を上回る二十三首が採られ、その歌風は“貫之よりも貫之らしい”と...