Gゼロの排葦小船 ~日本の独自性とは? 和歌で知る「もののあはれ」~

多極化の時代と日本人の空洞化

Gゼロ(世界の多極化)の時代、日本は依拠してきた思想や価値観の拠り所を失いつつある。これまで日本人は、古くは中国、近代からは西洋そしてアメリカといった外来の大国に自らの価値の指針を求めてきた。
すなわち、今あたり前としているグローバリズム、自由主義そして拝金主義といった思想を従順に受け入れ、自らのそれとして誇ってきたのである。しかし、いまや当のアメリカ自身がそれらを放棄しようとしているのだからたまらない。ここにおいて、「模倣の歴史」が限界を迎えたいまこそ、日本人独自のあり方を問わざるを得ない。
その答えを探し求めた前例がある。それが江戸中期に興った「国学」であった。

国学という先例

国学とは江戸中期に興った、文献学的方法による古事記・日本書紀・万葉集などの古典研究の学問である。儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を究明しようとしたものだ。
当時の国学者によって、日本人に特有の「国民性」に対しての答えはほぼ出ていた。しかし、今のわれわれには届いていないように思う、なぜか? お気づきだろうが戦前の国家主義のためである。国学の成果は、国民を戦争に向かうために大いに活用されてしまい、その嫌悪がいまも残っているのである。これは正しい反応といえるだろうし、この感情が残っている限り、日本に国家主義ははびこらないだろう。しかし反面、日本の国民性の欠落は著しいものとなってしまった。

であれば、国学から政治性を取り除き、文学面を取り出すことで、日本のオリジナルの国民性が取り出せるのではないか? そもそも国学は儒教や仏教を外来思想として排除し、和歌と物語文学に日本人の原型をさぐる文化的な学問であった。であれば、国学の純粋な成果を取り出せば、国民性を求める今の日本人への重要な道標となるだろう。しかし、そう簡単でないのが国学という学問である。

本居宣長と「もののあはれ」

本居宣長を知らぬ人はいないだろう。彼は国学者の筆頭で卓越した業績を挙げた。「古事記伝」の執筆そして「もののあはれ」論は以降の文化・言論人はじめ多大な影響を及ぼした。わたしもこの「もののあはれ」こそが、日本を日本たらしめる文化論だと思っている。

宣長は言う。

『さてかくの如く阿波礼(あはれ)といふ言葉は、さまざまいひかたはかはりたれど、其意はみな同じ事にて、見る物、聞く事、なすわざにふれて、情の深く感ずることをいふ也。』(石上私淑言)

日本人は神代より受け継いできた心ばえがあった。しかし、大陸から儒教・仏教が伝わりそれらを受け入れた結果、独自性は次第に失われてしまい、今の世の人間は「うそ、いつはり」に満ちているという。宣長は江戸中期に生きた人物だが、彼の目には日本人の精神の衰退はすでに平安の末期に始まっていると映っていた。つまり、彼にとって「もののあはれ」とは単なる美的感性ではなく、失われつつある日本人の心を回復するための思想であった。この視点を踏まえると、現代の荒廃は宣長が予見した延長線上にあるとさえ言える。

和歌を詠むことによる実践

宣長の「もののあはれ」論は、純粋な日本人の心を取り戻そうというものである。しかし先に国学が簡単でないと言ったが、宣長の論は、現代人がもとめがちな安易な「イズム」でないということだ。彼は「もののあはれ」を「知る」と言っているとおり、物事の本質をつかんで正しく把握することが肝要だと説いたのだ。
どうやって? これは国学者の本をいくら読んだとて得られるものではない。あくまで実践的に「知る」ことをせねば、純粋な日本人の心・情などわかるはずもないだろう。

ではどうすればいいか、宣長はこのように答える。

『事にふれて、其うれしくかなしき事の心をわきまへしるを、物のあはれをしるといふなり。其事の心をしらぬ時は、うれしき事もなく、かなしき事もなければ、心に思ふ事なし。思ふ事なくては、歌はいでこぬ也。しかるを生きとし生ける物はみな、程々につけて、事の心をわきまへしる故に、うれしき事もあり、かなしき事もある故に、歌ある也』(石上私淑言)

和歌を詠む。それが宣長の答えである。天地開闢以来、神代より詠み継がれてきた「和歌」には『万代不易』の心が宿っている。古に心を寄せ歌を詠むことで、昔の実情を知ることができるのだ。この手段はなにも宣長独自のものではなく、国学者の総意であろう。宣長は三代集に、賀茂真淵は万葉集に規範を求めて、みずから歌を愛し詠んだ。

現代における和歌の可能性

和歌を詠むことこそが、日本の本来の国民性を獲得する手段だとすれば、そのような難しいことが現代人にはできるのだろうか? そのように仰る方もいるだろう。しかしそれは大きく誤ったバイアスに囚われていると言わざるを得ない。実のところ宣長の時代にも、同様の問いがあった、そして宣長はこう答える。

『歌のいつはりは、昔の実情をならひまなびてよむゆへに、偽りながら人の情のまこと也。この処をよくよく分別すべし。今の歌の実情にあらず、偽りのみなるもみな人情のまことの意にして、ただおろかに女童の情のやう也。そのつたなくおろかなる情を、とかく興あるさまに、おもしろくつづけなすが、今の歌の風雅也。』(排葦小船)

昔の歌に心を寄せて詠むことで、拙くとも偽りであったとしても、そこに人情の真が宿る。和歌には古来より「心・詞」論があり、基本的には「心をさきとする」ことを旨としてきた。しかし宣長は「詞」を重んじる。詞から和歌の道に入り、いにしへの心に近づけと言うのだ。はじめは真似ることでも構わない、しかし真似ることからその心は近づき、末にはまことの心に到達するだろう。本居宣長はそのように説いた。

日本人は連綿と和歌を詠み継いできた。これが明治期になると衰えを見せ、今ではまったく顧みられることがない。明治の文化人らが西洋の「個人主義」をありがたく奉った結果、無個性の和歌は「つまらぬもの」と一蹴されてしまったのだ。しかし宣長らの主張を前にすれば、これがいかに短絡的で、これこそが「つまらぬ言いぐさ」だとわかるだろう。

和歌を詠むことは、個人の内面を赤裸々に吐露するという承認欲求や安易な自己満足ではない。和歌を詠むことは、すなわち歴史が積み上げてきた、日本人の感情の型を「知る」ということだ。四季折々の景色を見、恋をすることで、そこに伝統の息づかいや古の日本人の感じ方を知る。それが歌を詠むということなのだ。「もののあはれをしる」とは、日本人の歴史と伝統へ素直に心を寄せるということだ。

和歌を詠むか、放棄するか

古来より日本人は和歌とともにあった。むしろ歌を詠まない今という時代が異常とさえ言えよう。四季を感じ、恋をし、人生の機微を歌に託すことで「もののあはれ」を知る。その営みが断絶した今、日本人の心はかつてないほど空洞化している。
私たちは再び和歌を詠むのか、それとも詠まずに日本人であることを放棄するのか――今それが問われている。

(書き手:内田圓学)

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