春の桜に秋の月… いにしえより日本人は身近な自然を題材に歌を詠んできました。これは単に自然の「美しさ」に惹かれたのではありません。森羅万象に見えるある“共通点”に感銘を受けてきたのです。それは「無常」「一瞬のあだ花」言い換えるなら「一回性の原理」です。咲いては散る、移ろいを止めぬ自然に、みずからの運命・人生を知り、こころ(心・情)を重ね、口をついて出てきた言葉が「歌」なのです。
つまり、一首一首の歌には、一人一人の「かけがえのない人生」が留められているのです。いい歌には必ず「余情(あまりのこころ)」があります。一度きりの人生に対する広く深い思いこそが、歌の感動の源泉なのです。
ある人はこのように語りました。
やまと御言の歌(和歌)は、わが秋津洲(日本)の国のたはぶれあそび(こころを楽しみ慰めるもの)なれば、神代よりはじまりて、けふ今に絶ゆることなし。おほやまとの国に生まれなむ人は、男にても女にても、貴きも卑しきも、好み習ふべけれ…
「俊頼髄脳」源俊頼
「歌」を詠むことは人生を豊かにすることであり、男女の性別や身分を問わず誰もが歌を詠んだ… いにしえ、といっても近代まで日本人は「歌」をそのようにとらえ、連綿と詠み継いできたのです。
それがどうでしょう、現代の日本に歌の文化はほとんど残っていません。今は空前のSNS短歌ブームでは? と言う人がいるかもしれませんが、その現代短歌には先に述べた「人生のかけがえなさ」は表れているでしょうか。
現代短歌は、近代化と歩調を合わせるように「私化」、「歴史や言葉の軽視」を進めてきました。そして今や「口語」すなわち“日常の独り言”が当たり前となり、もはや「歌」ではないのです。
一方で、今ほど「歌」が求められている時代ありません。現代は希望の見えにくい時代(人口減少、経済の停滞云々…)だと、よく耳にします。しかし“先行きの不安”なんてのはいつの時代も変わらずにあった。ただ、近代以前には信仰があり、故郷があり、家族があった… 無力な凡夫を支える支柱があったのです。しかし今やどうでしょう、強いて言えば「お金」がその立場にあるのかもしれませんが、しかし財ほど移ろいやすいものはありません。ですからわたしは「せめて歌をよりどころにせよ」、と言いたい。いにしえの日本の人なら、疑いもなくそのように考えたことでしょう。
「歌」を詠むことで… 自分を知る、そして人生のかけがえなさを知ることができる。「歌」こそが人生を豊かにしてくれる「最良の友」なのです。わたしはそう強く思っています。
令和和歌所には「歌」の正統を受け継ぎ、みなさまに伝承する様々な場があります。「やまと言葉」を大切にし、「歌語」「文語」「歴史的仮名遣い」を用いて歌に詠むすべを指南します。そしてわたしたちには、志を同じくする歌の仲間がいます。
初心の方はもちろん、現代短歌の詠み人また日本文化を愛好する人… どんな方も大歓迎です。ぜひ一緒に、人生を豊かにする「歌道」をともに歩みましょう。
(書き手:内田圓学)
和歌の型(基礎)を学び、詠んでみよう!代表的な古典作品に学び、一人ひとりが伝統的「和歌」を詠めるようになることを目標とした「歌塾」開催中! |