【百人一首の物語】十六番「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」(中納言行平)

十六番「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」(中納言行平)

中納言行平、実名を在原行平という。高貴な出自も祖父平城上皇が薬子の変により出家、父も連座して太宰府に左遷となり、九歳には臣籍に下る。弟に業平という古典界を席巻するスーパーアイドルがいるためか、彼の存在感はあまりにも乏しい。しかしわずかな歌をもって、行平は古典に甚大な爪痕を残した、この百人一首歌は最大の例である。

「因幡」と「去なば」を、「松」と「待つ」を掛ける手の込んだ趣向はさておき、内容によって 行平は地方官として因幡国に下ったことがわかる 。ただそれだけのこと…、であるが、この歌をベースにとてつもない妄想劇が生まれた、謡曲「松風」である。

舞台は須磨の浦、何かあって須磨に流された行平は土地の海人姉妹(松風、村雨)と出会い恋に落ちる。しかし許されて都に戻るとなるや、行平は身分違いの二人を捨ててしまった。見どころ破の舞、亡霊となった松風(後シテ)は行平形見の烏帽子と狩衣をまとい「立ち別れ」の歌を口ずさむ。在りし日の幸福はいくばくか、思い出すほどに女は狂乱となり、末は夜明けとともに狂い果てた。「松風ばかりや残るらん」、うら悲しき終曲は屈指の名場面といえるだろう。「熊野松風は米の飯」とも言われ、和歌ファンでなくとも一度は観ておきたいものだ。

ちなみに「松風」の舞台そして源氏の流浪先を須磨にしたのも行平の歌※による。業平は伊勢物語に見られる数多の歌をもって古典文学を席巻したが、行平はわずかの歌でその名を刻んだのだ。

※「わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ」(在原行平)

(書き手:内田圓学)

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