【百人一首の物語】八十二番「思ひわびさても命はある物を憂きにたへぬは涙なりけり」(道因法師)

八十二番「思ひわびさても命はある物を憂きにたへぬは涙なりけり」(道因法師) 

「つれない恋に思い悩みながらも、それでも生きながらえている私は、つらさに堪えきれずしぜんと涙が流れます」

歌にある「わぶ」は、今ではほとんど「不足の美」を表す言葉として使われていますよね、茶道(茶の湯)にみられる「わび・さび」といったそれです。しかし元を辿れば「わぶ」とは悲観表現のひとつでありました。

しかもこの八十二番や二十番の元良親王をみてわかるとおり、

「わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしてもあはむとぞ思ふ」(元良親王)

「わぶ」とは恋の嘆きであり、その破滅が人生の破滅であるかのような、恋愛における究極の悲壮表現であったのです。「命は…」、「身を尽くしても」なんて過剰な修辞とあわせて詠まれていることからもご理解いただけるでしょう。

ということで「叶わぬ恋」を美学とした平安歌人たちは、恋歌におのずと「わぶ」を多用し、またいろんな派生をうみました。

「うちわび(うちわぶ)て呼ばはむ声に山びこのこたへぬ山はあらじとぞ思ふ」(よみ人知らず)
「我のみや世をうぐひすと泣きわび(泣きわぶ)む人の心の花と散りなば」(よみ人知らず)
「わびはつる(わびはつ)る時さへものの悲しきはいづこをしのぶ涙なるらむ」(よみ人知らず)
「わび痴ら(わび痴る)にましらな泣きそあしひきの山のかひある今日にやはあらぬ」(凡河内躬恒)

どんだけ嘆いてるんだ、と彼らのナイーブさに少々辟易してしまいますが、まあこれが平安貴族の美学であったわけですね。

詠み人の道因法師は俗名を藤原敦頼といいました。同時代の西行に負けず劣らず歌に熱心だったようで、老いてなお秀歌を得られるように都から住吉大社(古来歌の神とされる)まで毎月欠かさず参詣していたとか、死後に「千載和歌集」に自身の歌がたくさん採られた喜びからそれを伝えるため撰者俊成の夢枕に現れたなどなど、歌にまつわる逸話に欠きません。

彼が坊さんということで、八十二番歌を“人生を述懐した老境の嘆き”を真意とする解説書もありますが、道因法師の人間性、歌道をひたむきに一途邁進する態度を見る限り、人生を振り返りくよくよと嘆くような小さい男には、私は思えません。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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