【百人一首の物語】五十一番「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを」(藤原実方朝臣)

五十一番「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを」(藤原実方朝臣)

五十番の藤原義孝は若くして亡くなりましたが、立派な子息を残しています。長子行成は三蹟の一人として知られ、この家系は世尊寺流といって書道の家として栄達しました。

今回の五十一番の藤原実方は、この行成と因縁があった人物です。ある時でした、実方と行成は和歌について口吻を交えます、ヒートアップした実方は行成の冠を奪い投げ捨ててしまうのですが、これは場所が悪かった、なんと天皇の面前だったのです。不作法を罰せられ、天皇に「歌枕を見てまいれ」と、言われたか言われなかったか、とにかくも実方は陸奥国へと左遷させられたのでした。

これに代表されるように実方はアウトローで知られます。在原業平しかり、こういう人ほど後世にファンを生むのですが、実方も名取市に伝わるお墓に、彼を慕って西行や芭蕉など名だたる数寄者が訪れています。

→「中将藤原朝臣実方の墓(名取市観光物産協会)

ところで先のエピソードの天皇とは「一条天皇」です、一条後宮の女房歌人の登場は五十六番の和泉式部をもってですが、すでに百人一首は平安王朝のクライマックス、宮廷文化の花盛りを迎えようとしています。と、関係があるんでしょうか? この時代の和歌の修辞は彩を競うがごとく難解を極めています。

「せめて言いたい、私がこんなにも恋慕っていることを、しかし言えない…。伊吹山のさしも草ではないけれど、それほどとは知らないでしょうね、火のように燃えるこの思いを!」

歌中の「さしも草」とは「蓬(よもぎ)」のことです、「蓬」といえばお灸ですよね、だから「燃ゆる思ひ」なんてことになるのです。実のところ丁寧な注がなければこんな歌、ほとんど理解不能です。振り返れば四十九番「みかきもり」なんてかわいいものでした。

たぶんこれは現代人だけでなく、当時の人間も同じような感じだったんじゃないでしょうか。詞書には「女に初めてつかはしける」とありますが、受け取った女性はどういう印象を受けたんでしょうね? けっして「あら、素敵な殿方…」なんてことはなくて、「面倒くせーやつから手紙きた」くらいだったと思いますよ。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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