【百人一首の物語】九十四番「み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり」(参議雅経)

九十四番「み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり」(参議雅経)

参議雅経は「飛鳥井雅経」です。雅経は多才な人で、和歌では後鳥羽院の和歌所の寄人となって「新古今和歌集」の撰者に加わり、蹴鞠では院に「蹴鞠長者」と称されるほどの腕前でした。
ちなみに俗の遊びであった蹴鞠を貴族の嗜みにしたのは白河院だといいます。彼が天皇在位中にはじめて内裏で蹴鞠を催して、藤原師実や師通といった上級貴族たちまでも愛好するようになりました。蹴鞠というと今でいうサッカーのリフティングのようなものだと理解されていると思いますが、さすがに貴族の嗜みとあって作法や故実が整えられたひとつの芸道でありました。

雅経は参議という高級官僚でありながら歌も蹴鞠も優れていたという、才能にあふれた人物のようであるのですが、じつのところこの時代には由緒ある出自であっても、武士に勝る才能がないと栄達の道は厳しくなっており、文武の芸を必死で磨いていたというのが都の貴族たちだったのです。
これは才のない人間には非常につらいことですが、一方で一芸に秀でたものはかつてない出世が望めたということ。いくら歌の才があっても従五位上どまりだった貫之と比較し、定家が正二位の権中納言にまで昇ったのは時代の幸運であったのです。

さて歌ですが、詞書きには「擣衣の心を」とあります。擣衣とは砧で衣を打って光沢を出すことで、かなりざっくり言えば現代でいうアイロンがけです。 これを秋の夜長、遠くどこからともなく聞こえてくる風情を歌に詠んだのでした。

「吉野の山の秋風が夜ふけて吹きわたり、ふるさとには寒々と衣を打つ音が聞こえてくる」

題を受けてさらりと詠んだような歌、それでも声調に美しさがあり、風流人で鳴らした雅経の力量が見てとれます。
ちなみに歌の「ふるさと」に、私たちはみずからが生まれ育った「故郷」を思うのですが、平安貴族らが浮かべるはいにしえの旧都です。ですから歌はたんに暮れゆく秋の夜におさまらず、凋落一途の宮廷の歴史をも感じさせる風情となっています。

ところで雅経の歌は「秋」に採られているのですが、しかし擣衣がアイロンだとしたら季節が限定されるのはおかしくありませんか? 冬支度のひとつだったのかもしれませんが、じつのところ擣衣を秋に定めたのはおそらく李白の「子夜呉歌」の一首でしょう。

長安一片月 萬戸擣衣声
秋風吹不尽 総是玉関情
何日平胡虜 良人罷遠征
(子夜呉歌)

秋の夜。李白の詩には、遠く戦に出て帰らぬ夫を待つ女の、嗚咽にも似た擣衣の声が聞こえます。
これは二十三番の千里の歌※でも明らかですが、いくら漢詩に憧れたところで和歌にするや否やその情趣は霧散してしまう。これは三十一文字という短詩形文学の致命的な欠点といえるでしょう。

※「月見れば千々にものこそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど」(大江千里)
※「燕子樓中霜月夜 秋來只爲一人長」(白楽天)

(書き手:歌僧 内田圓学)

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