【百人一首の物語】九十二番「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし」(二条院讃岐)

九十二番「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし」(二条院讃岐)

現代短歌の巨人と称される塚本邦雄に「新撰 小倉百人一首」という著書があります。そこで彼は定家撰の百人一首を「凡作百首」であると断言、「真の百首」を撰びなおすことをしました。歯切れいい彼の批評に私もいくらかは楽しんだのですが、いにしえの歌人への憧憬を忘れた言葉に辟易としてしまい、正直なところ読了感はいいものでなかったです。

そのなかで塚本御大が唯一お褒めになった歌、それが二条院讃岐の歌でした。
『凡作百首の中の例外』、『百首の内の秀作と呼べる僅かな歌の随一に数えてよい』と、上から目線の評に書籍全体に漂う空気感も十分伝わってくるでしょう。
ただ、せっかく巨匠が絶賛した歌なのですが、じつのところ私はあまりピンときません。

「私の袖は引き潮の時にも見えない沖の石のように、人は知らないだろうが、涙に濡れて乾く間もありません」

歌は題詠で、採られた千載集には「石に寄する恋」とあります。そもそも題に違和感があるのはさておき、題に忠実なのはよくわかります。しかしこれ、こちらの本歌取りでありました。

「わが袖は水の下なる石なれや人に知られでかわく間もなし」(和泉式部)

いかがでしょう、知ればほとんど本歌のマイナーチェンジではありませんか。濡れて乾かぬ「水の中の石」に、忍び泣きを譬えたはじめての歌は評価されてしかるべきですが、「潮干」のみを加えてみずからの手柄にしようなんてのは、到底評価できるものでないでしょう。

しかしながら二条院讃岐はこの歌で「沖の石の讃岐」の異名を得たといいます。つまり塚本だけではく当時の歌人らも絶賛したということで、であればこの歌をいいと思えない、私の鑑賞眼こそ疑うべきなのかもしれませんね…

それでもです、私がこの歌を好きになれず、あまつさえ不幸を感じてしまうのは、連綿と続いてきた和歌史の末路だから。「題」に縛られ「本歌」に縛られ、もはや自由に歌を詠むことなどできず、評価もされなかった時代の、悪戦苦闘しながら歌を詠み続けた宮廷歌人の末路だからです。
貴族がより貴族的であることでしか存在を継続できなくなった、歴史の悲哀を二条院讃岐の歌はありありと伝えています。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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