【百人一首の物語】五番「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」(猿丸太夫)

五番「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」(猿丸太夫)

百人一首に深刻な撰歌不審を招いた要因のひとつが、正体不明歌人の存在だろう。天智・持統天皇に始まり、歌聖人麻呂、赤人と流麗にながれてきたものが突然、猿丸太夫という意表にぶつかる。

猿丸の名は古今和歌集の真名序に見えるが、実のところ歌は一首も採られていないと言える。古今集における猿丸詠は元々すべて「よみ人知らず」であって、後世何者かが猿丸の歌と定めたのだ。「猿丸集」なる歌集まで編まれたが、これも草々の古歌の寄せ集めであるというのが定説になっている。

「猿丸太夫」なる歌人を形作ったのは藤原公任かもしれない。公任が三十六人撰に猿丸とその歌を採ってはじめて、その姿は具象化された。採られた歌は三首、いずれも山中間居が詠まれており、猿丸の名に見事ふさわしいものだ。そしてそのうち一首が百人一首にも採られた。

猿丸の百人一首歌はいかにも秋らしく、理想的な間居の情景である。しかし一方で和歌的には極めて定型的な秋の風景ともいえよう。実は定家がこの歌を採った最大の理由がこれだ。

定家にとって百人一首は王朝の栄光盛衰の物語であったが、クライアントの宇都宮蓮生に向けては基礎的な教本、バイエルとして構成したに違いない。であるからこのような、古今風を極めたような和歌の基礎的愛唱歌をありがたく採ったのだ。

(書き手:内田圓学)

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