三十五番「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」(紀貫之)~ 百人一首の物語 ~

三十五番「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」(紀貫之)

貫之は古今集をいや古典和歌を代表する歌人のひとりですが、この「百人一首の物語」においては「没落氏族の逆襲」を代表する歌人です。飛鳥・奈良時代に律令制なんて理想が建てられたものの、当に現実は「藤原氏にあらざれば貴族にあらず」というような状況で、元来武人として馳せた大伴やそして紀氏なんて古代氏族は「応天門の変」に象徴される計略で見るも無残に没落していました。それを貫之は歌ひとつで再起をはかり、叶って勅撰集編纂の任を得たのだから、その感動が例の「仮名序」にほとばしっていてなんらおかしくないでしょう。しかしその歌の分野も後世、藤原が締めてくるのですから、やってられませんね。

さて、そんな古典的大家も近代明治の巨匠正岡子規に言わせれば「貫之(つらゆき)は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」、「人はいさ心もしらず」とは浅はかなる言ひざまと存候」(再び歌よみに与ふる書)ということなのですが、その最たる理由はいわゆる「理知的」な歌にあります。見たものをそのまま「写生」すべしと説いた若人にはむべなることでしょう。

私としては貫之の理知こそが古典和歌の礎を築いたと考えてますが、しかしこの百人一首まったく貫之らしくない歌です。貫之らしき理知つまり「掛詞」や「縁語」などの技法がなく、得意とした「屏風歌」の気配もまるでない、純粋な経験からくる歌、写生の歌ではありませんか。ちなみに屛風歌とは金持ち貴族の家の絵屛風に合わせてつけた歌のことです。ですから写実性なんてあるはずなく、それこそ取ってつけたような「理知の歌」が量産されていきます。貫之は生涯におよそ1600首ほどの歌を詠んだと言いますが、そのうちなんと500首が屛風歌だそうです。貫之はクライアントが絶えない、優れた職業歌人であったということですね。

この百人一首歌には詞書があります。「初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家の主人、かく定かになむ宿りは在る』と言ひ出して侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りて詠める」。すなわち、久しぶりに訪れた宿の主人にちょっとした嫌味を申した歌なのですね。とはいえこの嫌味は親しさの表われであり、男性ではなく女性に向けられたものだと考えるのが普通でしょう。私はけっこうな風雅の交流だと思うのですが、頭の固い明治の若人は「浅はかなる言ひざま」と一蹴しています、いかがなもんでしょうね?

ところで古今集の哀傷歌に貫之のこのような歌があります。

【詞書】あるし身まかりにける人の家の梅花を見てよめる
「色も香も昔のこさににほへとも植えけむ人の影ぞ恋しき」(紀貫之)

まったく根拠は示されていません。でも、この亡くなってしまった恋しき「植えけむ人」に、初瀬詣にさいして宿にしたあの「女主人」を重ねるのは、人の情として当然でしょう。

(書き手:和歌DJうっちー)

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