【百人一首の物語】六十六番「もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし」前大僧正行尊

六十六番「もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし」前大僧正行尊

中世文学の重要なキーワードに「漂白の歌人」というものがあると思いますが、それを形作ったのが行尊です。
行尊は祖父に三条院をもち、父基平は参議に昇るほど由緒ある出自でした。しかし父が十歳で亡くなるとその二年後には出家、大峰をはじめ葛城や熊野などの霊場で修行に励み、すえは僧官の頂点である大僧正まで昇りました。十二番の遍照や九十五番の慈円など、百人一首にも偉いお坊さんが採られていますが、彼らがきわめて俗世の匂いが濃いのに対し、行尊は修行僧としての姿が強く残っています。百人一首歌などはその最たるものでしょう。

金葉集の詞書きには「大峯にて思ひもかけず桜の花の咲きたりけるを見てよめる」とあり、歌はまさに修行の最中に詠まれたものだとわかります。としたとき、山桜はただの山桜でなくなります。それは孤独と絶望のなかで奇跡的にも出会えた光、作者にとっての希望そのものであったのです。

修験の過酷さは半端でなかったようで、「行尊大僧正集」には百人一首歌の前にこれを載せます。

「山桜いつを盛りとなくしてもあらしに身をもまかせつるかな」(行尊)

「もういかようにもせよ!」。こう言わんばかりに作者は追い詰められていた、三十四番の興風のようなのほほんとした孤独とはわけが違うのです。

ちなみに霊場における桜ですが、これは役行者が金峯山寺にを開いたさい、桜の木に感得した蔵王権現を彫って本尊としたことから以来御神木となり、いわば修験道の象徴となっていったようです。かの吉野山も山桜が保護、寄進され続けて今の「千本桜」となりました。
三十一番の坂上是則が詠んだように、古来吉野山といえば「雪」でありましたが、しだいに「桜」の名所と変わってゆくのは、この山岳信仰の発展に伴うものであったのです。

さて、ともすれば吉野の桜というと安易に西行などを想起してしまいますが、実のところその西行こそが、行尊という愚直な求道者を志しており、桜をわが唯一の友となし、同じように真心を尽くしたのでした。それは行尊と等しく、桜に語りかける歌からもうかがい知れるでしょう。

「花いかにわれをあはれと思ふらむ見て過ぎにける春をかぞへて」(西行)

西行に宗祇そして芭蕉。漂白の歌人に興味をもてば、やはりその先駆たる行尊に、わたしたちはもっと目を向けねばなりません。

(書き手:和歌DJうっちー)

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