【百人一首の物語】七十八番「淡路嶋かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝覚ぬ須磨の関守」(源兼昌)

七十八番「淡路嶋かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝覚ぬ須磨の関守」(源兼昌)

七十六番から崇徳院歌壇ゆかりの歌人が採られ、顕輔、堀川らへと続いてくのですが、その中ほどにこの源兼昌が置かれているのは、ちょっと理解に苦しむ配列です。じつのところ兼昌は詳しい経歴が分からない正体不詳の歌人で、かつ歌人としての実績はおもに前々代の堀川院歌壇なのです。ですから崇徳院の次に据える理由はまるでないのです。

七十八番歌の入集は「金葉集」で、詞書によると「関路千鳥」の題で詠まれたものでした。適訳するまでもない単純な歌、「千鳥の鳴き声に幾夜目を覚ましたのだろう」なんて、ほぼ題をなぞっただけの退屈な仕上がりですね。

歌にあえて見どころを求めれば、「須磨の関」を詠んだということでしょう。歌枕における関は、それこそ「逢坂」、「不破」、「白河」などいくつでもあるなかで、兼昌は「須磨」を選んだ。ここで要点はそれぞれの関にいわゆる個別の「本意」があるということ、詳しい説明は別の機会にしますが「須磨」の場合だと「在原行平」※1や「源氏物語」※2が歌・物語にして以来、貴種流離の“悲劇的なもの寂しさの象徴”ということになります。

兼昌の歌にも当然この抒情が宿ってしかるべきですが、不思議なのがその本意の表象に違和感がある。もちろん歌にわびしさは感じます、しかしそれが謡曲「松風」のような直接的に感じ取れるものではない。この正体は初句「淡路島」にあります。兼昌は「須磨の千鳥」で十分なものを、あえて「淡路島」から通ってくる千鳥を歌に描いた、このある種不要な情報が付加されたために結果、違和感を感じてしまうのです。

この不自然な歌に、百人一首の選者たる定家はひとつの妄想を抱いたのではないでしょうか。それは「崇徳院の影」です。
崇徳院は保元の乱の後、配流となりました、淡路島のその目と鼻の先にある讃岐の地です。ようするに定家は淡路島から通ってくる千鳥に、むなしき人の面影を見たということです。そんな妄想をしてしまったために、定家は崇徳院の次に正体不明歌人が詠んだ「関路千鳥」の歌を据えた。
私たちもこのように妄想すれば、定家の意図というものがなんとなく理解できるというものでしょう。

※1 在原行平が詠んだ「須磨」
「わくらばに訪ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ」(在原行平)
「旅人は袂涼しくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風」(在原行平)
「いく度かおなじ寝覚めになれぬらむ苫屋にかかる須磨の浦波」(在原行平)

※2 源氏物語(第十二帖 須磨)
「須磨にはいとど心づくしの秋風に海はすこし遠けれど、行平中納言の関吹き越ゆると言ひけむ」

(書き手:和歌DJうっちー)

「百人一首の物語」一覧


代表的な古典作品に学び、一人ひとりが伝統的「和歌」を詠めるようになることを目標とした「歌塾」開催中!

<!--→「和歌と文人墨客の集い(如月の会)」2/23(日)9:50~11:50 -->