【百人一首の物語】七十一番「夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろやに秋風ぞふく」(大納言経信)

七十一番「夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろやに秋風ぞふく」(大納言経信)

前の七十番に続いて「秋の夕暮れ」の情景です、しかも同じく美しくて寂しい秋の夕暮れです。
「夕方になると門田の稲葉がそよそよと音を立てて、ああ、芦で葺いたボロ家に秋風がふいている」。記してみましたが、適訳など不要でしたね。稲葉に風が吹き渡るという、なんてことのない風景。凝った修辞のないまる裸の歌。でもこれがいい! と、感じられるのは、日本人の幸せでしょう。

詠み人は源経信、肩書は“大納言”です。ですから実際に「芦のまろ屋」なんてボロ小屋に住んでいたのではありません。では一番の天智天皇のように「農民に心を寄せて」詠んだ歌かというと、それも違います。実のところこれは金持ち貴族の貧乏趣味の歌なんです。17世紀のフランスの貴族社会でも「田園趣味」が流行りましたが、それと同じ。お金はあまるほどあるけど、なんだか物足りないと嘆く人間の贅沢な遊びというわけです。
ちなみに古今集の秋に詠まれなかった「田んぼ」の風景が、金葉集あたりから目立ち始めるのは、貴族のこの田園趣味が本格化してきた表れです。

さて、経信が大貴族だからといってこの歌から情趣が失われるかというと、それはないでしょう。なんども言いますが、和歌そのものがいうなれば「虚構の文学」ですし、そんなことを無視しても、経信の歌からは中世らしい「わびしさ」が見事に捉えられています。

ちなみに経信は当代一流の歌人でした。詩歌管絃に秀で有職故実にも通じ、かの大納言公任と比較されたといいます。ただ勅撰集編纂の任は叶わず、白河天皇は「後拾遺和歌集」の編纂をライバル歌人である藤原通俊に命じました。経信はよほど悔しかったのでしょう、後拾遺集に対する批判を「後拾遺問答」、「難後拾遺」といった著作をつうじて執拗に行います。しかし無念、勅撰集編纂の夢は生涯叶うことはありませんでした。経信の無念は三男の俊頼が晴らすことになります。

(書き手:和歌DJうっちー)

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