【百人一首の物語】二番「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」(持統天皇)

二番「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」(持統天皇)

持統天皇はご存知のとおり天智天皇の娘である。叔父である天武天皇の妃となり草壁皇子を生んだ。
天智・持統のように百人一首には親子がなんと十八組、三十五人も存在する。これに曾祖父、祖父と孫、叔父と甥などの関係も含めると、この歌集はほとんど近親縁者の寄せ集めと言って過言ではない。

これは当時の貴族社会の狭さの体現でもあるが、親子という枝葉を積み重ね、平安王朝という一本の大樹つまり一筋の物語を意識的に構築した面も多分にあろう。そしてこれが唯一、定家にとっての撰歌基準であったと考えられる。

さて持統天皇だが、天智天皇との親子関係でいえば元明天皇もそうである。万葉集にはわずか二首であるが、その歌※1も採られている。ではなぜ、定家は元明ではなく持統を採ったのか、それはやはり歌を評価したのだ。
持統天皇が残した歌も決して多くはない、しかしその一首一首は豊かな抒情を宿し、元明にはない歌人の才が見てとれる、この百人一首歌のように。

持統の百人一首歌の初出は万葉集※2であるが、少し今風にされて新古今集夏の“一番歌”に採られた。夏に映える白色が清々しく声調も麗しい見事な写生歌、当時の歌人たちの愛唱の一首であったに違いない。定家はこれを晴けき王朝の幕開けにふさわしい歌とみて、この百首歌に採ったのだ。

ところで持統朝といえば柿本人麻呂や高市黒人などの宮廷歌人が活躍し、歌が言霊から文学へと育まれた和歌史におけるターニングポイントとなった時代だ。天智天皇を平安王朝の太祖とすれば、持統天皇はさしずめ宮廷歌壇の母というべきか。定家にとって決して外せない歌人の一人が持統天皇なのだ。

※1「大夫の鞆の音すなり物部の大臣楯立つらしも」(元明天皇)
※2「春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほしたり天の香具山」(持統天皇)

(書き手:和歌DJうっちー)

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