百人一首と三十六人撰の比較で分かる、やはり百人一首は「王朝の栄枯盛衰物語」だった!

以前百人一首とは「王朝の栄枯盛衰物語」である! と説明しました。まあ、あえて言わなくとも採られた歌人を俯瞰的に眺めれば自ずと想像できることだと思います。今回はそれをより明確にするため、“ある秀歌撰”との比較を試みます。

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それは「三十六人撰」です。
ご存知の方も多いでしょうが、「三十六人撰」は藤原公任によって編まれた秀歌撰です。これに採られた歌人たちは後に「三十六歌仙」として伝説化、また「中古三十六歌仙」や「女房三十六歌仙」など様々なバリエーションも生みました。

古来、百人一首には表に見えぬ“謎がある”と噂が絶えません。それは同じ趣向の歌や愚作が多く採られていることが原因なのですが、私個人としては「百人一首=ナゾ」説は否定的です。採られている歌に関する指摘はその通りだとしても、これに憑りつかれると袋小路から永遠に出られなくなります。

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しかし百人一首には謎とまで大袈裟でないまでも、編纂ポリシーは頑としてあります。それが冒頭で述べた「平安王朝の歴史物語の再現」なのですが、それを「歌」ではなく「人」でやろうとしていることがポイントなのです。

百人一首単体で見ると分かりにくいのですが、これより前代に「人」を軸とした秀歌撰、「三十六人撰」と比較することで、百人一首の特徴がいっそう浮かび上がってくるのです。

ではさっそく比較を行ってみましょう。

まずその歌順です。
私たちは歌人の年代順に並んでいるのが当たり前だと思っていますが、実のところ三十六人撰は歌人の順番に脈絡がありません。
ですから百人一首の歌人がほぼ「年代順に並んでいる」のは、相当意図的であるのです。

また百人一首には女性歌人が二十一名、また坊主歌人は十三名採られていますが、三十六人撰には女性が五名、坊主に至っては二名しか採られていません。三十六人撰のほとんどは実績のある宮廷歌人が占めているのです。
裏を返せば百人一首というものは非常に「人のバラエティー」に富んだ歌集だということです。

そしてこれが最も核心なのですが、三十六人撰には「天皇」が採られていないのです。ここに百人一首が天智天皇、持統天皇をはじめ後鳥羽院、順徳院と天皇を十名も採り、それを巻頭と完結に据えていることは何よりも意図的であり、撰者である藤原定家が魂を込めた画竜点睛の一決であることを知るべきなのです。

他にも百人一首には血縁関係のある歌人が多く、それがペアリングして意味合いを匂わせるのですが、これも王朝の一筋の物語の局所とみるべきでしょう。

ちなみに百人一首と三十六人撰を「歌」で比較しても面白い発見があります。
それは両集で共通する歌がこんなにも存在するのです。

「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかもねむ」(柿本人麻呂)
「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花」(凡河内躬恒)
「今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな」(素性法師)
「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき」(猿丸太夫)
「花の色は移りにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに」(小野小町)
「逢ふことの絶えてしなくは中々に人をも身をも恨みざらまし」(藤原朝忠)
「逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」(藤原敦忠)
「風をいたみ岩うつ波の己のみ砕けてものを思ふころかな」(源重之)
「山里は冬ぞさびしさまさりける人めもくさもかれぬと思へば」(源宗于)
「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」(藤原興風)
※三十六人撰は一人で複数首採られています

百人一首では三十六人撰で重複する歌人のおよそ半分において、同じ歌を採っていたのです。これはつまり定家は、歌によって歌集の独自性を発揮する意図は皆無であったということです。

いかがでしょう、三十六人撰と比較することで百人一首の特徴がよりクリアになったと思います。
それは「人の選定」こそが肝要であり、それによって「平安王朝の物語を再現する」ことを狙ったのです。
※後鳥羽、順徳は政治的理由から後世に(為家による説など)加えられました

さて、「百人一首=ナゾ」の根源は採られた愚作に由るものでしたが、なぜ定家は自身の最盛期には優美な新古今調を達成していながら、百人一首には同じような陰影深い古臭い歌ばかり採ったのでしょう?
「老齢の境地」「後鳥羽院時代の訣別」…

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いろいろと想像できますが答えは藪の中、まあ大いに想像して楽しみましょう。これこそが古典の正しい楽しみ方です。

ちなみに愚作の筆頭に挙げられるこちらの歌、

「嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな」(西行)

西行にとって月は単なる月ではなく、恋する人の面影でありました。昔の人を偲び泣き濡れるを孤独な男、情趣を重ねれば、心に沁みる白眉の一首だと私は思いますけどね。

(書き手:和歌DJうっちー)

→令和の古今伝授(和歌を詠み書くための会、神無月)10/27(日)9:50~11:50