神祀る宿の卯の花しろたへの御手座かとぞあやまたれける(紀貫之)

今日の詠み人は紀貫之、十八番の見立てであるが少し分かりづらい。それは卯の花に見立てた「御手座」にある。御手座は「みてぐら」と読み神前に供える布・切地を指す、「幣(ぬさ)」と言い換えた方がイメージしやすいかもしれない。この...

まがふべき月なきころの卯の花は夜さへさらす布かとぞ見る(西行)

昨日の卯の花は夕月夜、ほのかな明かりが残っていた。それが新月であったらどうであろう? 今日の詠み人は西行法師、旅の詩人は夜さへ構わず風雅を求め野山を巡る。もとより人工的な灯りなどない射干玉の闇、月がなければ足取りも止む。...

夕月夜ほのめく影も卯の花の咲けるわたりはさやけかりけり(三条実房)

和歌では白さを讃える場合、同じく白きものと合わせて相乗効果を得るか、夜の闇にあって際立つ様を詠むことが多い。前者は「白菊に置く霜」などが知られるだろう、今日の歌は後者に近い場面でその美しさが詠まれている。 光と闇が交代す...

雪の色を奪ひて咲ける卯の花に小野の里人冬ごもりすな(藤原公実)

今日から歌群は卯月の由来となった「卯の花」、ようやく夏らしくなってきた。ちなみにこの白い花の正式名称は「ウツギ」である、また豆乳の搾りかすでもない。 さて、今日の歌の見どころは「奪ふ」にある。美しい花の白さは雪から奪った...

あはれてふことを数多にやらじとや春に遅れてひとりさくらむ(紀利貞)

立夏を過ぎて季節は変わったはず、だった。しかし昨日までの更衣数首をみて分かるように、いつまでも湿っぽく「春」を詠みこんで花を忘れられないでいる。極め付きは今日の歌だ。『感嘆を独占しようと、ひとつこの桜は遅れて咲いたのだろ...

夏衣花の袂に脱ぎかへて春のかたみもとまらざりけり(大江匡房)

衣替え、それはある種の人には絶望的な行為かもしれない。というのは、以前ご紹介した梅歌「梅が香を袖にうつしてとどめては」を思い出してほしい。春の名残を留めようと熱心に袖に移した梅の香りだが、衣そのものを替えてしまえば意味を...

惜しめどもとまらぬ春もあるものを言わぬにきたる夏衣かな(素性法師)

昨日に続き新古今集の夏からその二番、素性法師の更衣の歌である。素性といえばウィットに富んだ歌で古今集を代表するが、その滑舌は狂言綺語の並ぶ新古今にあっても淀みない。『惜しんだって春は止まらない。だからって、なんで着たくも...

ML玉葉集 春上(卯月)

和歌所では、ML(メーリングリスト)で歌の交流をしています。 花鳥風月の題詠や日常の写実歌など、ジャンル不問で気の向くままに歌を詠み交わしています。 参加・退会は自由、どうぞお気軽にご参加ください。 →「歌詠みメーリング...

わが宿の池の藤波咲きにけり山郭公いつかき鳴かむ(よみ人知らず)

古今集の夏の一番歌、詞書きによると柿本人麻呂製と噂される。和歌の春といえば梅にうぐいす、桜が情景を飾ったが夏はどうであろう? 実のところ「ほととぎす」一辺倒なのである。草花は繁り、鳥や虫の盛んに活動する季節にあってなぜか...

花は根に鳥は古巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき(崇徳院)

暮春を締めくくる歌に撰んだ一首、詠み人は崇徳院だ。だからということもないが、悲壮感に胸が詰まる。花は、鳥はなごりの地へ帰する、それは母なる愛の場所だ。だが私は、帰るあてのない私はいったいどこへ行けばいいのだ、 誰も知らな...