五月闇くらはし山のホトトギスおぼつかなくも鳴きわたるかな(藤原実方)
「五月闇」は五月雨(さみだれ)が降るころの夜まれに昼の暗さを言う。歌中の「倉橋山(くらはしやま)」は奈良県桜井市倉橋付近の山だろう、耳慣れないが古歌では時おり詠まれて記紀歌謡にも名が残る※。しかしここでは山の場所など意に...
「五月闇」は五月雨(さみだれ)が降るころの夜まれに昼の暗さを言う。歌中の「倉橋山(くらはしやま)」は奈良県桜井市倉橋付近の山だろう、耳慣れないが古歌では時おり詠まれて記紀歌謡にも名が残る※。しかしここでは山の場所など意に...
ホトトギスといえば、松浦清の「甲子夜話」に載る川柳三句が特に知られるだろう。こう言って分からなければ鳴かぬホトトギスを信長、秀吉、家康の天下人がいかにするか、三者三様が歌われたアレだ。それでいくと今日の歌は家康の趣向に最...
この度やむなくホトトギスを片仮名表記にしている。古今集最古の写本とされる高野切れなどは全て平仮名(変体仮名含む)で和歌を書写しているが、私は可読性を優先して要所で漢字を用いている。ホトトギスもそうしたかったのだが、これを...
令和歌合せ(皐月の会)に詠進いただいたお歌をご紹介します。 →「和歌所の歌会・和歌教室」 題「春」 風渡り賀茂の祭りの静々と 幾年過ぎて常(とこ)しえなりや 庭に揺る花橘を吹き混ぜて 流れを留めぬ風は過ぐらむ ころもがえ...
『私のためと聞いてもいいだろうか? まだ主が定まらないホトトギスの初音を』。初音といえばミクではなくて「鶯(うぐいす)」であるとご紹介したが、まあこのようにホトトギスに使っても構わない。鳥であれ花であれ風であれ! 時節の...
湘南ビーチFM(78.9MHz)での和歌トーク3回目にして最終回です。和歌の夏を独り占めする「ホトトギス」についてご紹介しています。「テッペンカケタカ」の鳴き声も聴けるよ! 和歌の型(基礎)を学び、詠んでみよう! 代表的...
これまた才気に富んだおもしろい歌だ。『梢が夏になると山が見えなくなる』とは、葉が繁って風景を遮っているためで、趣旨としてはそれだけ夏らしくなってきたということだ。ところで「生駒」と「夏になる」だが、「駒」と「成る」は縁語...
「松」は四季歌において、「待つ」の掛詞として二次的に用いられるか、寂寥感をかき立てる「松風」として詠まれることがほとんどた。なぜ単独で詠まれないかといえばそれが常緑樹という、絶えず緑を讃える永遠の存在だからだ。移ろわぬも...
昨日に続いて良経の菖蒲である。そしてこれこそ後京極摂政良経、渾身の一首である。 まず詞(ことば)、二句で切れて三句目で場面を転換、間髪入れずに四句目を倒置している。かつ結句を上下両方の情景に関係させ一首を統合、巧みな構成...
いやーやっぱり良経はカッコいい。もちろん貫之や定家もいいけど、彼らは歌の専門家。良経はなんたって従一位で摂政の大貴族だってのにこんな素敵な歌を詠む(そう考えると、後鳥羽院なんて人はなおさらすごい)。 歌の菖蒲は「あやめ」...
『爽やかな風吹きわたり青い早苗がなびく田んぼ、その色は少しずつ落ちていって、夕日が僅かに残る丘の松林』。まるで写真を見るかのような情景繊細な初夏の田園。一目で玉葉・風雅の撰と分かる、見事な写生歌である。 早苗などの田園の...
昨日までの葵歌でこれが「逢う日」に掛かり、また御神紋である「賀茂神社」と縁が深いことがお分かり頂けただろう。ところで賀茂神社といえば、和歌ファンであれば彼女を思い起こさずにいられない、式子内親王だ。 式子は十代の多感な時...
昨日ご紹介したように「葵」は大抵「逢う日」と掛けられる、ゆえにその歌は恋になる傾向が高い。今日も恋の部から、出展は新古今和歌集である。『前に関係した女どもは怒るかもしれんなぁ、でも昔の祭りで出会った女、あいつはまじで別格...
「葵」は数ある歌語のなかでも含みが多い。今日から数首をかけて、その秘密を解き明かそう。 今日の初句「名にし負わば」は葵に係り、「葵」は「あふひ」と「逢う日」の掛詞になっている。また「そのかみ」には「其神山」と「その昔(か...