名に愛でて折れるばかりぞ女郎花われ落にきと人に語るな(遍昭)
今日から数首「女郎花(おみなえし)」の歌をご紹介しよう。詠み人は遍昭、僧正という僧官の最上位にありかつ仮名序では六歌仙の一人に挙げられる。そんな一角の人物が詠んだ歌がこれだ、『名前が愛らしくて手折っちまったよ女郎花、よも...
今日から数首「女郎花(おみなえし)」の歌をご紹介しよう。詠み人は遍昭、僧正という僧官の最上位にありかつ仮名序では六歌仙の一人に挙げられる。そんな一角の人物が詠んだ歌がこれだ、『名前が愛らしくて手折っちまったよ女郎花、よも...
『日暮れまで僅かに残っていた庭の萩の花、月が出てきたので見に行ってみるとなくなっていた。ああ悲しいなあ』。他愛もない歌である。しかしすごく引っかかる歌である。花の儚さを歌にするのならこの時期なら朝顔があるだろう。しかし実...
例によって適訳不要の歌、永福門院である。「散る萩の花」、「秋風」、「夕日」… 情趣を誘う秋の景物がこれでもかと詠まれている。ただ自然体を理想とする彼女にしては少々演出過剰ではないか? しかも結句「壁に消えゆく」など鼻につ...
令和和歌所では、ML(メーリングリスト)で歌の交流をしています。花鳥風月の題詠や日常の写実歌など、ジャンル不問で気の向くままに歌を詠み交わしています。参加・退会は自由、どうぞお気軽にご参加ください。→「歌詠みメーリングリ...
昨日の歌はよほど胸アツだったのだろう、躬恒からおよそ三百年後の女性がこんな本歌取りをしている。『私はよっぽど萩の古枝よ! なんで本心を聞いてくれないの!?』。採られたのが風雅集というものあるが、四季歌の範疇をはるかに越え...
『萩の古い枝に咲いている花を見ると、あなたへの真心は昔と変わらないことに気づく』。歌のポイントは「古枝」である、萩の枝はいくら古びようと、そこに咲く花の美しさは不滅だ。詠み人は凡河内躬恒、萩の花に仮託した口説きの文句であ...
藤原敏行は貫之や業平らを凌いで誰よりも古今集らしい古今歌人といえよう。貫之や業平はその実、かなり個性をはらんだ歌人であり典型の枠に収まらない巧みな変化球がある。その点、敏行はいつも直球勝負、ありがちで耳障りの良い古典的風...
今日の歌にも詠まれているが、秋といえばあらゆるものに置くのが「露」だ。ところで主題が変わったことに気づいただろうか? 昨日までは「荻」で今日のは「萩」だ。「くさかんむり」の下が前者は「けものへん」、後者は「のぎへん」であ...
昨日ひとつの問題提起を行った。お約束ばかりの個性なき文芸、伝統的和歌に如何なる価値があるのか、と。私の見解を述べよう、実は芸術など表現活動全般に個性を求めることこそ、現代人が抱える思考停止の固定観念なのだ。和歌はそもそも...
先日、代表的な歌の律動(リズム)として五七調と七五調をご紹介しました。 →関連記事「和歌の入門教室 歌の律動(五七調と七五調)」 古今集の頃にはすでに長歌形式は凋落し、歌といえば短歌形式が主流になります。それに伴って歌...
会の概要 和歌を詠んで書く。これこそが伝統的な日本文化の真髄であり、わび茶も凌駕する総合芸術です。 「和歌」とは四季折々の自然そして古の歌人と心が通じたときに漏れるため息。この刹那の感動をかろうじて留めようという行為が「...
昨日、荻と秋風は組み合わせて詠むものだとご紹介したが、実はもう一つのお約束が荻にはある。それが「そよ」だ。お察しがつくと思うが、穂が風に靡くさまのオノマトペ(擬音)である。これを「そうよ」つまり「同意」の意として合わせ詠...
『そうでなくても不思議なほどの夕暮に、荻を吹き渡る風の音がする』。「荻」は秋の七草に数えられないが、初秋の風景には欠かせない。 秋風の歌を振り返ってみよう、崇徳院の歌にも風になびく荻が詠まれていることに気づく、和歌でこの...
昨日、憶良が詠んだ秋の七草をご紹介した。ご存知の方も多かと思うが、そこでの「朝顔の花」は今でいう「桔梗」であるというのが通説になっている。私たちが知る朝顔が伝来したのは平安時代以降なのだ。では平安時代も中期にあたる後拾遺...