澄むとてもいくよも澄まじ世の中に曇りがちなる秋の夜の月(藤原公任)

詠み人は藤原公任、幼くして優秀で後に正二位、権大納言まで昇る。ちなみに従兄弟の道長は公任の「影は踏めないが面は踏める」と豪語してその通りになった。さて今日の歌であるが皮肉たっぷりである。『澄むといってどれほどの年月も澄ま...

松が根に衣かた敷きよもすがら眺むる月を妹見るらむか(藤原顕季)

『松の根に衣の片袖を敷いて一晩中眺める月を、彼女も見ているだろうか?』。当時、男女が共寝をする際には互いの衣の袖を敷き交わしてその上に寝ていた。あえて説明すると「衣片敷き」とは、どちらか一人が衣を敷いて相手を待っている状...

あしひきの山のあなたに住む人は待たでや秋の月を見るらむ(三条院)

今日の詠み人三上院といえば、眼病を患いそれを理由に藤原道長に譲位を強いられ、その翌年42歳で崩御するという不遇の人という印象が強い。また百人一首に採られた歌※が、これを強固にもしている。しかし今日の歌はどうだろう、『山の...

【和歌マニア(第88回)】今日は十五夜! 中秋が愛される理由と四季折々の月の美しさを知る!

今日(9月13日)は十五夜です。にしてもなぜ中秋の名月は特別愛でられるのか? 今回は新古今から四季折々、月のいろんな美しさをご紹介しつつ、なぜ中秋が月見に好まれるのかを解説します。久しぶりに吉三さん登場! そしてろっこは...

月影は同じひかりの秋の夜をわきて見ゆるは心なりけり(よみ人知らず)

今日も「よみ人知らず」による秋の月をご紹介しよう、詞書にはズバリ「八月十五夜」。『月の光はいつもと同じ中秋の名月を、ことさら特別感をもって見るのはその「心」に理由があるのだ』。この歌は極めて冷静で、示唆に富んでいると思う...

木の間より漏りくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり(よみ人知らず)

春といえば桜、では秋といえば? もちろん「月」である。今でも中秋(旧暦八月十五日)の名月はもてはやされていて、この日はテレビなどでもやたら月見を話題にする。しかし現代人はお気楽なものだ、満月を一目眺めれば満足、秋を堪能し...

色かはる露をば袖におき迷ひうら枯れてゆく野辺の秋風(俊成卿女)

新古今歌の四季歌が難しいのは、一首が純粋な風景またその感想ではないことに起因する。風景がつまり暗喩であり心象であり悲劇の象徴なのだ。三十一文字という短詩形においてそれを可能とするのは、一語一語の言葉に秘めた含蓄力によるも...

儚さをわが身の上によそふれば袂にかかる秋の夕露(待賢門院堀河)

いつから和歌は、こんなに虚しくなったのだろう。それは新古今のひとつ前、千載集がその分岐点だ。『私に寄りかかる儚さは、秋の夕暮れに置く袂の露のよう』。三代集を主として、「露」は秋を秋らしく染める風景のひとつであった。しかし...

白露の色は一つをいかにして秋の木の葉を千々に染むらむ(藤原敏行)

二十四節季もそろそろ白露になるころだ。近年では残暑長く、朝露はまだ目に遠いかもしれないが本来は秋も本番を迎える。さて「露」は草木に置くものであり、あくまでも脇役だと思うかもしれない。しかし和歌で「露」は千変万化に立ち回る...