【辞世の歌】その1 倭建命「倭は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる倭しうるはし」

「辞世の歌」を知り、詠み残そう! 現代に辞世の歌を詠み、後世に残そうなんて人間は皆無です。それはわたしたちが「死生観を失くしてしまった」ということにほかなりません。このシリーズでは、連綿と語り継がれてきた名だたる辞世の歌...

辞世の歌 その23「浮き世をば今こそ渡れもののふの名を高松の苔に残して」(清水宗治)

清水宗治は戦国時代後期の武将で備中高松城の城主。豊臣秀吉の中国征伐に対抗し、水攻めに苦しめられる。やがて本能寺の変が起こり、急いで事態を収拾したいと考えた秀吉は宗治の自害を条件に講和を進め、これを受け入れた宗治は自刃して...

辞世の歌 その22「かねて身のかかるべしとも思はずば今の命の惜しくもあるらむ」(朝倉義景)

朝倉義景は越前の戦国大名。義景の名は将軍足利義輝の諱を一字もらい受けたもので、彼の将軍家への忠義のほどがうかがえます。浅井長政と結んで織田信長に対抗するも姉川の戦いで大敗、一乗谷を攻め落とされ自刃しました。 ところで越前...

【語り継がれる辞世の歌】序・辞世の歌とは

「辞世の歌」を知り、詠み残そう! 現代に辞世の歌を詠み、後世に残そうなんて人間は皆無です。それはわたしたちが「死生観を失くしてしまった」ということにほかなりません。このシリーズでは、連綿と語り継がれてきた名だたる辞世の歌...

辞世の歌 その21「捨ててだにこの世のほかはなきものをいづくか終の棲家なりけむ」(斎藤道三)

「捨ててだにこの世のほかはなきものをいづくか終の棲家なりけむ」(斎藤道三) 斎藤道三は戦国時代の中期の武将、俗名は利政ですが仏門に入り道三と名乗りました。油売りから身を興し、一代で美濃国主になったといいます。嫡子である義...

「白熱 古典教室」兼好法師の承認欲求に見る、私たちとの変わらなさ ~徒然草と方丈記を熱く語り合う!~

読み継がれてきたのには訳がある。中世の文学(徒然草、方丈記、歎異抄)を楽しく読み解く、これぞ「古典の白熱教室」の様子をお送りします。※私の語り部分だけ抜粋しています ■今回の内容・徒然草:18~22段・方丈記:序段 (令...

辞世の歌 その20「筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我が身なりけり」(石田三成)

石田三成は戦国時代末期の武将、豊臣秀吉に仕えて五奉行の一角をなし、九州征伐や文禄・慶長の役などに出陣したほか太閤検地など行政面で実績をあげました。秀吉の死後は徳川家康と対立、関ヶ原の戦で敗れ最後は京都の六条河原で斬首され...

辞世の歌 その19「打つものも打たるるものも土器よ砕けて後はもとの土くれ」(三浦義同)

無常の様相 その1「受け入れる」「打つものも打たるるものも土器よ砕けて後はもとの土くれ」(三浦義同) 三浦義同(道寸)は戦国時代はじめごろの武将で、相模国東部を修めた三浦一族の当主でした。しかし北条早雲らの侵攻をうけ、あ...

辞世の歌 その18「今日ありと思うて日々に油断すな明日をも知れぬ露の命を」(慈円)

出展がはっきりしないので講評が憚られるのですが、今回はユニークな辞世の歌をご紹介しましょう。前大僧正慈円の辞世歌です。 「今日ありと思うて日々に油断すな明日をも知れぬ露の命を」(慈円) これをパッと見ての感想ですが、どう...