【百人一首の物語】五十四番「忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」(儀同三司母)

五十四番「忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」(儀同三司母) また恋の歌、そしてまた誰かの母ちゃんの歌です。儀同三司とは准大臣の唐名、その人は「藤原伊周」なのですが、どうでしょう「伊周」って読めました...

【百人一首の物語】五十三番「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」(右大将道綱母)

五十三番「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」(右大将道綱母) 恋の歌が続きます、詠み人は「右大将道綱母」あるいは「藤原道綱母」です。と、ここで気になるのが彼女の名前、かの「蜻蛉日記」の作者であり...

【百人一首の物語】五十二番「明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな」(藤原道信朝臣)

五十二番「明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな」(藤原道信朝臣) 「夜が明ければ、やがてまた日は暮れる」。これは二番歌の「春が過ぎて、夏が来る」と同じで、しごくあたりまのことを述べただけにすぎません...

【百人一首の物語】五十一番「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを」(藤原実方朝臣)

五十一番「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを」(藤原実方朝臣) 五十番の藤原義孝は若くして亡くなりましたが、立派な子息を残しています。長子行成は三蹟の一人として知られ、この家系は世尊寺流といって書...

和歌マニア(第105回)『三夕の歌ご紹介。三石? いや三夕(さんせき)です。茶人に愛されたその心とは、みんなが知りたい内容と解釈を話します。』

※「和歌マニア」はつまらなくて、難しいとされる「古典和歌」を、おもしろ楽しく紹介する番組です。令和和歌所の「和歌DJうっちー」と、日本文化ナビゲーター兼英語講師の「ろっこ」がお送りします。 ■ご紹介した歌「さびしさはその...

令和時代の和歌、目指すべき歌風「ただごと歌」について

歌を詠むための「歌塾」をはじめて数か月がたちました。おかげさまでご参加者さまにも恵まれております(「歌塾」については、こちらをご覧ください)。 ただ肝心なことを、私はお伝えしておりませんでした。それは、「どのような歌を詠...

和歌マニア(第104回)和歌とは? 今こそシンプルにお答えします。漢詩に対しての和歌、宮廷の文芸にして教養、日常必需品、言葉による芸術… とどのつまりは「歌」なのです!

※「和歌マニア」はつまらなくて、難しいとされる「古典和歌」を、おもしろ楽しく紹介する番組です。令和和歌所の「和歌DJうっちー」と、日本文化ナビゲーター兼英語講師の「ろっこ」がお送りします。 ■「令和和歌所」(和歌と古典を...

【百人一首の物語】五十番「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな」(藤原義孝)

五十番「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな」(藤原義孝) 恋の歌が続きます、よみ人は藤原義孝。この歌で百人一首も前半終了ですが、後半は藤原氏以外の氏族はほとんど出てきません、ようするに駆逐、埋没しちゃっ...

【百人一首の物語】四十九番「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ」(大中臣能宣朝臣)

四十九番「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ」(大中臣能宣朝臣) よみ人は大中臣能宣、梨壺の五人の一人であった人物です。と、ここで解説を、まず「大中臣」ですが、なんか見覚えありますよね? 藤原氏の...

【百人一首の物語】四十八番「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけてものを思ふ頃かな」(源重之)

四十八番「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけてものを思ふ頃かな」(源重之) 源重之は風景歌の達者です。その詠みぶりは平安の山部赤人といって過言でなく、この時代にはめずらしく大らかで親しみやすい景色を歌に多く残しました。...

【百人一首の物語】四十七番「八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり」(恵慶法師)

四十七番「八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり」(恵慶法師) 五番の猿丸太夫は「秋は悲し」とうたい、四十七番の恵慶法師は秋を「さびし」とうたった。私たちも秋といえばなんとなく物悲しい「愁い」の季節だと理解...

「和歌史の断崖を埋める、近世(江戸時代)和歌の本当」第十回 香川景樹の歌

景樹の歌集「桂園一枝」は、従来例のなかったまでに批評の多かった歌集です。当時は出版の手数の多く費用のかかる時代のことで、公表しようとすると板行にしなくてはなりませんが、これはとても容易なことではありませんでした。それにも...

「和歌史の断崖を埋める、近世(江戸時代)和歌の本当」第九回 香川景樹による賀茂真淵の批判

香川景樹の歌論で重要なのはやはり、賀茂真淵の「新学」を攻撃した「新学異見」でしょう、これは文化八年、彼が四十四歳の時のものでした。他には天保三年、六十五歳に著した「古今集正義総論」、內山眞弓が記録した「歌学提要」、松波遊...

「和歌史の断崖を埋める、近世(江戸時代)和歌の本当」第八回 香川景樹の「調(しらべ)論」

定家以来の新古今風をいまだに尊ぶ京都の堂上歌壇、それに対抗する形で、万葉集を掲げて江戸から蜂起した賀茂真淵、さらには堂上歌壇と真淵の双方を批判して、まったく新しい歌論を立てた小沢露案。これまで近世(江戸時代)の和歌史をざ...