【百人一首の物語】六番「かささぎの渡せる橋におく霜の白きをみれば夜ぞふけにける」(大伴家持)

六番「かささぎの渡せる橋におく霜の白きをみれば夜ぞふけにける」(大伴家持)

大伴家持といえばその歌が万葉集に四百七十首ほど採られ、実質的な編纂者と目される人物。政治家としては受難の道を歩んだが、歌人として万葉の草々を文芸の域に昇華させた。

これほどの大歌人でありながら、初代勅撰集である古今和歌集には一首たりとも歌が採られていない。人麻呂しかり赤人しかり、万葉歌人は古今集において実質的に完全無視されている。万葉集と古今集の間には底知れぬ崖があり、文化的にはまったく違うものなのだ。

彼らが公の歌集に復帰するのは拾遺集以後であるが、正しく再評価されるのは新古今にまで下る。見よ、事実赤人も家持も、百人一首に採られた歌は新古今入撰歌ではないか。これは赤人歌で評したように、新古今歌人が繊細な写生の目を取り戻しつつあったこともあるが、思想的には俊成、定家親子らに代表されるように、当時の歌人らの伝統回帰主義が強く影響している。

さて家持の歌だが、これは多分に素直でない。「かささぎの渡せる橋」とは牽牛と織女を結ぶ七夕の夜にあるもので、和歌の絶対のルールに従えば「秋」以外に詠んではならない。しかし歌の情景は霜輝く「冬」の夜だ。だからこれを宮中の階と見立てるのが通説になっているが、正直これほど野暮の極みはなかろう。厳冬の夜空に輝く満天の星、これこそが家持の感動のすべてだ。

言われるように張継の詩※は念頭にあったのかもしれない。しかし鑑賞の側がこれにすべてを頼っては、歌のおもしろさなど無に帰すだろう。伝統破格たる実直の美! これにこそ定家をはじめ新古今歌人たちが惹かれた、家持の歌の本意なのだ。

※『楓橋夜泊』
「月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船」(張継)

(書き手:内田圓学)

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