【百人一首の物語】三十八番「忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」(右近)

三十八番「忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」(右近)

この歌、引かれた拾遺集には「題しらず」となっていますが「大和物語」の八十四段に「女、男の忘れじとよろづのことをかけて誓ひけれど忘れにけるのちにいひやりける」として同じ歌が採られています。八十一段からの一連のストーリーをみると、「男」とは「故権中納言」ということで右近のお相手は「藤原敦忠」だとわかります。右近は醍醐天皇の皇后穏子に仕えた女房ですが、あの和泉式部も真っ青な多情の人。先の敦忠をはじめ元良親王という皇族から藤原師輔、朝忠、源順など名うての歌人まで多くの男性と浮名を流しました。

その実情は… あまり幸福な恋愛ではないようです。大和物語や勅撰集に採られた詞書をみると、ひたすら待ちつづけるむなしい姿ばかり※描かれています。当時の女性が「待つ」ことが当たり前だったとはいえ、右近の恋は待ちに待って、それでも来ないといった惨めなのです。

それで「忘らるる」の解釈ですが、永遠の愛を誓ったはずの男の裏切りに、お人好しにも気遣ってみせるというのと、それとは真逆にお気の毒さまと言わんばかりの皮肉を込めたという2パターンが考えられます。普通の人間なら最大級の恨みを言いたいところですが、右近は素直にも気遣いしちゃうタイプで、だからこそ男に都合のいい扱いを受けていたのかもしれません。

ところで歌中の「誓ふ」を神仏への誓約とするのが通例なのですが、当時神仏との誓いを破ったら死ぬという迷信があったんでしょうか? キリストの教えもない時代、個人的にちょっと日本人の感覚にはあわない気がするんですよね。

※男の久しうとはざりければ
「とふことを待つに月日はこゆるぎの磯にや出でて今はうらみむ」(右近)

(書き手:歌僧 内田圓学)

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