【百人一首の物語】六十四番「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木」(権中納言定頼)  

六十四番「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木」(権中納言定頼)

この歌、実は革新的な一首です。和歌とは本来、人の心を種としてよろずの言の葉になったものですから、自然風景に託されて人間の心情、思いの丈があきらかに見えているものでした。九番の小野小町や四十六番の曽禰好忠の歌がその最たる例ですよね。しかしどうでしょう、この歌にはドラマがまったくありません。ただぼくとつと、「いいなぁ」と思った一片の風景が歌われているのみです。じつのところ、このような純写生風の歌は和歌ではめずらしく、三代集以後に徐々に増えはじめ京極派で極点を迎えます。

ちなみに「網代」というのは氷魚(鮎の稚魚)を採るための仕掛けで、宇治は琵琶湖から泳いでくる氷魚の漁場でした。ですからこの時代、宇治といえば網代、網代といえば宇治といった関係が成り立っており、歌や画中に網代が描かれていたらばおのずと宇治の風景が理解されたのです。

さて気になるのは歌の作者、だれがこの破格の歌を詠んだのか? その名は権中納言定頼こと藤原定頼、かの権大納言公任の長男であり、歌だけでなく音楽や書の名手でもあったといいます。ん? 定頼といえば思い出しませんか? そう、六十番の小式部内侍とのやりとりです。あの軽薄なチャラ男が、なんとこの定頼であったのです!なんだか複雑な気持ちにもなりますが、作品と作者は別ということで、この一幅の水墨画のような冬の宇治川の陰影に、しばし心を浸してみましょう。

(書き手:歌僧 内田圓学)

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