【百人一首の物語】六十三番「今はただ思ひ絶なむとばかりを人づてならで言ふよしもがな」(左京大夫道雅)

六十三番「今はただお思ひ絶なむとばかりを人づてならで言ふよしもがな」(左京大夫道雅)

左京大夫道雅(藤原道雅)は藤原伊周の長男、五十四番の儀同三司母は祖母にあたります。百人一首を見まわした時、歴史的に先行するはずの前歌の清少納言を、定家はなぜ女房歌群の最後に配したのか考えるのですが、これは儀同三司母(道隆の妻)からはじまる、中関白家の栄光盛衰を表したかったのでしょうね。ということで道雅で刹那のカタストロフィーは完結します。

道雅の人生は中関白家の没落とともにあり、このような未来を描けない貴公子はみな同じような道を歩みます。在原業平や元良親王も歩んだ色の道です、それも破滅のという枕がついた。道雅はプライベートでかなりの悪行を積んだようで「荒・悪三位」などと呼ばれました。女性関係も遠慮がなかったようで、この百人一首歌などからは斎宮たる三条院の皇女(当子)と密通していたことがわかります※。しかしこの恋は叶わなかったようで、帝にバレてしまった結果、会うことができなくなってしまいました。だから、「なんとか人づてじゃなく、思いを伝えたいなぁ」ということなのです。

しかし、道雅が後世に業平のような伝説をまったく残せなかったのは、彼にいまいち男気が足りなかったからでしょう。ならばと、権力も恐れず女を盗み出してしまう伊勢物語の「昔男」にはドラマがありますが、ビビりまくって女々しくしているさまには、まったく夢がありません。

※詞書「伊勢の斎宮わたりよりのぼりて侍りける人に忍びて通ひけることをおほやけも聞しめして、守り女などつけさせ給ひて、忍びにも通はずなりにければ、よみ侍りける」

(書き手:歌僧 内田圓学)

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