【百人一首の物語】八十六番「嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」(西行法師)

八十六番「嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」(西行法師)

坊主歌人が続きます、その名は西行。西行は人気、実力ともに抜群で、昔も今も風流人の尊敬と憧憬を集めています。その魅力はなんといっても「旅」でしょう。西行は遊行、勧進のため日本各地を訪ね歩き、はては陸奥まで放浪し、折に触れては歌を残しました。この「漂泊の風雅」に感銘を受けた最大の人が芭蕉で、西行を求めて「奥の細道」を旅しています。

じつのところ西行にとっては人生そのものが旅でした。もともとは裕福な武士であったその身分を捨て出家、以後は「仏と歌」というある意味 二律背反する道を追い求めて苦悩の旅を続けたのです。後鳥羽院はこの西行を「生得の歌人」と称え、その評価のままに新古今には九十四首と最多が採られました。

さらにもう一つ、西行を語るうえで欠かせないのが「花と月」です。西行はこのふたつを生涯愛し、数えきれないほどの歌にその姿と心を留めました。

「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ」(西行)
この歌はどは、まさに心境を表しているでしょう。

ところで西行は「花」をシンプルに春の愛すべき風景として詠んだのに対し、「月」は見た目の美しさをそのままに歌にするのは少なかったようです。じつのところ西行にとっての月は、ある人の「面影」でありました。

「面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月に留めて」(西行)

山家集の恋部に「花」の歌群はなくても、「月」は四十首弱もあります。これは月へ重ねた止まれぬ恋慕であり、百人一首歌もその一環にありました。

「嘆けといって月が私にもの思いをさせるのか、いやそうではない。それなのに月のせいだとばかりに言いがかりをつけて、情けなく落ちる涙よ」

月が擬人化されていることは明白で、先ほど言ったように月にはある人の「面影」が重ねられているのですが、それはもちろん恋人の面影。それが「嘆け」というような顔をしている、でもそれは言い訳で、本当は文句ひとつも言えやしない、情けない自分の境遇を嘆いているのです。

この歌にもあるように西行は歌に反語を活用※しました。これは彼がきわめて内省的な人間であるというひとつの表れであり、人生における苦悩の解を常に自分自身に問いかけていたことがわかるのです。
(西行は宮中などの歌合せには参加しませんでしたが、自らの歌を合わせる「自歌合わせ」は好んで行いました。歌さえも他者と競うことはせず、あくまでも自分自身と競い合ったのです)

百人一首歌の 「嘆けとて」ををつまらないと一蹴する人もいますが、私は極めて西行らしい個性にあふれた一首だと思います。

ところで八十五番で坊主の恋歌は“妄想の爆発”と説明しましたが、私は西行の一首はさだめて実体験ではないかと勘ぐります。なにせ本人が自身の「御裳濯河歌合」に採るほど思いがあったようですし、そのようにみえるから定家も、数々の名歌に目もくれず西行らしい歌として、この百人一首に採ったのではないでしょうか。
(じつのところ西行にはマドンナとおぼしき女性がいました。それが出家前に仕えていた徳大寺実能の妹「待賢門院璋子」です。じつは出家の理由も、璋子への思いを断ち切るためだったという噂もあります。この一首などをみれば、なるほどそのような風説もなくはないなと思うのです)

※「おどろかむと思ふ心のあらばやは長き眠りの夢も覚むべき」(西行)
※「嘆かじとつつみしこの涙だにうちまかせたる心地やはせし」(西行)

(書き手:歌僧 内田圓学)

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