二十二番「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ」(文屋康秀)
「和歌」というと大抵の人間が貴族の雅な恋愛や美しい四季への真心のみで仕上がっているかのように捉えている。ちまたの指南書がそのように喧伝しているからやむを得ないが。しかし和歌とはその実滑稽でいい加減なものが沢山ある、いや古今集などはその集積といえよう。忘れてはならないのが、和歌とはそもそも社交のツールであったのだ。
二十二番は文屋康秀、一応六歌仙のひとりに数えられるが「商のよき衣きたらんがごとし」と手厳しい。貫之はなぜこのような卑賤の類を六人に加えたのか、定家だってなんでこの百人に選んだのか。そのような疑念を抱かれて当然だが、やはり貫之の評価「ことばは巧みにて」こそ眼目なのだろう。
百人一首歌を見よ、「山」と「風」を合体させると「嵐」なるじゃん! と、くだらなさを極めている。だがこれがいい。詞書きには「是貞皇子の家の歌合の歌」とあり、この歌が詠出された場は爆笑の渦に包まれたことだろう。優れたコミュニケーションとはそのようなものだ。
康秀は自らの白髪頭を白雪に譬えこんな歌※も詠んだ。風雅の中の滑稽、自らを卑下した誰も傷つかない笑い。このような人間を嫌いな人はいないはずだ。むべ(なるほど)、六歌仙は伊達でなかった。
※「春の日の光にあたる我なれどかしらの雪となるぞわびしき」(文屋康秀)
(書き手:和歌DJうっちー)
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