七十五番「契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり」(藤原基俊)
暮れゆく秋のわびしそうな情景が詠まれていますが、実のところこれは「秋(四季)」ではなく「雑」の歌です。この歌を理解するためには、採られた千載集の詞書を読んでおく必要があります。
「律師光覚、維摩会の講師の請を申しけるを、度々もれにければ、法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを、『しめぢの原』と侍りけれとも、またその年ももれにければ詠みて遣わしける」(千載集)
詠み人基俊の息子(光覚)は興福寺の僧でした。基俊はかわいい息子を名誉ある維摩会の講師にしてもらえるよう、その任命者である藤原忠通にお願いしていたのですが、しかし何度もお願いしてもいっこうに聞き入れられない。基俊はついに不満を申し上げたところ、忠通は「しめぢが原の」とだけ答えます。じつはこの一句、新古今にも採られた釈経歌の意が込められていました。
「なほ頼めしめぢが原のさせも草わが世の中にあらんかぎりは」
「袋草紙」によるとこれは清水観音の誓願の歌で、迷える衆生に対し「わたしを頼みにし続けなさい」というありがたい歌でありました。ちなみに「させも草」は五十一番でも詠まれていたように「燃ゆる思ひ」の象徴です、これは火宅つまり衆生の煩悩を暗に譬えているのでしょう。
ということですっかりあてにしていた基俊だったのですが…
「約束してくれましたよね、私を頼りにし続けよと。その露のような恵みの言葉を頼りに命を繋いできましたが、ああなんてことでしょう! 今年の秋もむなしく過ぎていくようです」
なんと! 今年もまた選ばれずじまいで、嘆き悲しみの果てに詠んだのがこの七十五歌でありました。
藤原基俊は七十四番の源俊頼と並ぶ院政期歌壇の重鎮でありました。しかし権力者たる忠通(法性寺入道前関白太政大臣)にとって基俊などはしょせん歌がうまいだけの従五位上の平貴族、慈悲の心をつゆほどもかけることはなかったようです。
(書き手:歌僧 内田圓学)
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