辞世の歌 その1「倭は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる倭しうるはし」(倭建命)

「倭は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる倭しうるはし」(倭建命)

おそらくこの歌が、「辞世の歌」として一般的に知られる最も古いものでしょう。詠み人は倭建命(やまとたけるのみこと)、古事記に載る神話が出典となっています。倭建命というと具体的なひとりの人物ではなく、倭(やまと)の勇ましき男たちを総称した名であると説明されることもあります。しかしわたしは一人の英傑としてみたほうが、その物語の悲哀が際立ってくると思います。

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記紀神話によると倭建命は、第十二代天皇である景行天皇の皇子とされます。彼は武に優れ、西征して熊曾建と出雲建をあれよと討伐。続けて東征を命じられるのですが、実のところ倭建命は倭の国を離れたくありませんでした。そんな複雑な心境ながらも、戦をしては連戦連勝を重ねついに東国を平定、ようやく愛する故郷である倭へと家路につくのですが、なんとその途中、伊吹山で病を得てその地で亡くなってしまうのでした。

辞世の歌は病中の倭建命が、臨終の間際に詠んだ一首です。
倭はこの国のまほろば(もっともすぐれた場所)、青垣の家が重なり山々に囲まれている、おお美しき倭よ!

「あをによし」が「奈良の都」の枕詞であるように、青丹の産地であった倭は家々の垣が青く塗られ、とても美しい土地でした。倭建命の眼によみがえるのはその美しき故郷の風景、本当は戦(いくさ)など捨て置いて、ただひたすら倭へ帰りたかった。しかし彼の願いは結局叶うことなく、無念やみがたき倭建命の魂は白鳥に姿を変え、倭へ向けて飛んで行ったということです。

※以外に思われるかもしれませんが、世に知られる辞世の歌で、倭建命の歌のように望郷の念を素直に表したものは多くありません。時代が下るほど、自らの信念のほうが重んじられていくのです。

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(書き手:歌僧 内田圓学)

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