万葉集を代表する歌人と言えば?
歌の聖「柿本人麻呂」や「山部赤人」、筑紫歌壇の双璧「大伴旅人」や「山上憶良」らの名前が挙げられますが、
やはりNO.1は「大伴家持」でしょう!
家持の万葉集に収められた歌は、その数・質ともにずば抜けています。

大伴家持の父は従二位大納言の「大伴旅人」、自身も従三位中納言というエリート貴族です。
しかも叔母には万葉女流歌人の代表「坂上郎女」がいるという、歌人エリートの出自でもあります。

ちなみに家持歌の万葉集収数はおよそ470首、大伴ファミリー全体では700首強といわれています。
万葉集総歌数がおよそ4500首ですから、その15%を一氏族で占めているのです。
このため、謎だらけの万葉集の成立は「大伴家持編纂説」が有力となっていたりします。
※折口信夫は、旧都(奈良)への憧れ強い「平城天皇」が、家持収集の“大伴家歌集”を手に入れたのを機会に「万葉集」を企てた、と論じています。
→「万葉集のなり立ち

さて、こんなハイソサエティに生きた家持ですが、なんと家がありません!
いやもちろん、日々寝泊まりする建物としての家は立派なものがあったとおもいますよ。
ここはあくまでも「確固たる存在」の比喩として、家持には「家」がなかったように思えるのです。

その理由の一つが「転勤の多さ」です。
当時の官僚としては当たり前であった地方官の転勤ですが、家持はその長命(68歳没)もあってか、やたらその数が多いように思えます。
父旅人に同行した大宰府をはじめに、多くの名歌を生んだ越中→因幡→薩摩→大宰府→相模→陸奥と、日本の津々浦々に家持は移り住みました。
確固たる「場所」なんていうのは、家持にはなかったのです。

二つ目が「政治関心の希薄」です。
家持が生きた8世紀後半は、氏族間の小競り合いが活発に行わていました。エリート官僚である家持もその渦中に巻き込まれていきます。
「橘奈良麻呂の変」(757年)、「藤原良継による仲麻呂暗殺計画」(763年)、「氷上川継の乱」(782年)、「藤原種継暗殺事件」(785年)。
これらの事件に関与した同族も多く、大伴ファミリーは次第に傾いていきました。
家持も事件の加担を幾度も疑われますが、生前に強い処罰を受けることはありませんでした。
なぜか?

これはきっと政治的関心が薄かったためでしょう(たぶん…)
ようは確固たる「政治信念」が、家持にはなかったように思えるのです。
※家持は死の直後「藤原種継暗殺事件」の首謀者に疑われ処罰を受けます。官籍からも除名、埋葬も許されませんでしたが、死後20年して復位しています。

このように確固たる「家(場所、信念)」がない、いいかえると「流浪」が家持の歌に独創性をもたらした! と私は思います。
柿本人麻呂の宮廷歌人としての「気高き歌」、父旅人や憶良の無常の世・人生に寄り添った「悲哀の歌」。
→関連記事「柿本人麻呂 ~みんなの憧れ、聖☆歌人~

これら偉大なる先達の歌風に縛られず、家持は独特な審美眼をもって斬新な歌を詠みました。
そのスタイルを一言でいうなれば、「万葉オシャンティー」!

今回は家持たぬ家持の、洗練された万葉歌をご紹介しましょう。

大伴家持の十首

家持のオシャレ歌が際立つのが「春」。
とにかくカッコいい、万葉の純文学作品に心打たれるはずです。

一「雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて贈らむ 愛しき児もがも」(大伴家持)
なんと! 一首に雪月花(梅)を詠みこんだ、なんとも贅沢な歌です。

二「春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ乙女」(大伴家持)
紅の桃と乙女… 万葉ならではの艶やかな取り合わせです。

三「春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に 鶯鳴くも」(大伴家持)
四「わが宿の いささ群竹 ふく風の 音のかそけき この夕べかも」(大伴家持)
五「うらうらに 照れる春日に ひばりあがり 心悲しも 独りし思へば」(大伴家持)
上の3首に共通するのは、本来穏やかな春の情景に強い寂寥を重ねている点です。
もはや文学作品ですね。洗練されたこの感性は新古今に近いものがあります。
ちなみにこれら「春愁三首」と評されています。

六「ふりさけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引 思ほゆるかも」(大伴家持)
家持、恋歌もいいんです。
三日月を一目惚れした女性の眉に喩えるなんて、なんだか大人エロティック。

七「撫子が その花にもが 朝な朝な 手に取り持ちて 恋ひぬ日なけむ」(大伴家持)
これは坂上郎女の長女であり、家持の妻であった「坂上大嬢」に送った相聞(恋)歌です。
古今の定番、序詞の恋歌なんかより、実際はこういう情熱的な恋歌がグッとくるなぁ

八「鶏が鳴く 東男の 妻別れ 悲しくありけむ 年の緒長み」(大伴家持)
家持は難波の地で、防人の監督に関わっていたことがあります。この時の防人・東人との出会いが「万葉集」の防人歌、東歌の収集につながりました。
上の歌では、愛しい妻と別れ遠地に赴任する東人に寄り添っています。

九「磯城島の 大和の国に あきらけき 名に負ふ伴の 男こころつとめよ」(大伴家持)
清らかな「大伴」の名を持つ一族の者たちよ! 決して油断するな!
これは大伴ファミリーがピンチに陥った際、家持が一族の結束を高めるために詠んだ歌です。武の名門、大伴氏の誇りを強く感じます。
しかし866年「応天門の変」で伴善男ら一族の多くが処罰されて以後、公卿の列から大伴氏は完全に消えてしまうのです。

十「かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける」(大伴家持)
家持といえば、やはり「かささぎ」の歌ですね。
新古今集や百人一首にも採られているように、この歌は新古今歌人を魅了しました。定家、家隆、寂連なんていう名だたる歌人も本歌取りをしています。
新522「かささぎの 雲のかけはし 秋暮れて 夜半には霜や さえわたるらむ」(寂連)

家持は万葉歌人ですが、その歌はいわゆる万葉ぶり(素直で男らしい)ではありません。
また万葉と古今の橋渡しをしたともいわれますが、古今風(理知的で女性的)ともちょっと違います。
和歌を言葉の芸術と捉え、純然たる美を描こうとしている様は、むしろ新古今の理想に近いといえます。

古さを全く感じない家持のオシャレ歌。
「床の間の置物」にしておくのはもったいないです。

(書き手:内田かつひろ)

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