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伊勢は三十六歌仙にも選出され、歴代の勅撰和歌集に計176首も採られた凄腕の女流歌人です。
古今和歌集では小野小町と双璧をなしていますが、この二人は実に対照的なのです。

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まずその生涯。
小野小町の名は史実に表れることなく、その存在は古今和歌集に残った歌で僅かに知れるのみです。
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一方の伊勢。その名は史実にしっかりと残っています。
伊勢は女房として時の中宮温子に仕えていました。藤原時平(後の左大臣)や仲平らと恋を交わすのですが、実はこの二人、温子の異母兄弟なのです。平安貴族の恋の世界なんて狭いもんだなぁなんて、こんなことで驚いてはいけません。
なんと伊勢、あろうことに温子の旦那である宇多天皇の寵愛を受け皇子まで生んじゃうのです。そして宇多天皇が出家した後はな、なんと! その腹違いの皇子である敦慶親王と結ばれて女の子(歌人中務)を産むのです。
ちなみにこの敦慶親王は光源氏のモデルの最有力候補です。なにせ自分の親父の妻と恋仲になるのですからね。

平安時代を「色好みの時代」なんていいますが、現代の感覚からいうと常軌を逸しています。
自分の兄弟姉妹でなければ誰でもアリ、なんですから。

さて、話を戻しましょう。
伊勢と小町は詠歌のスタイルも大きく異なります。

小町の歌は古今和歌集に採られたほとんどがそうであったように、得意は「恋歌」一本。余情たっぷりな女心を詠ませたら右に出るものはいない恋のスペシャリストです。
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一方の伊勢はオールジャンルに秀でたジェネラリスト。恋歌はもちろん、四季さらには物名、俳諧歌までも古今和歌集に採られています。そしてこれらの歌は極めて理知的でまさに古今風。さながら女版紀貫之と言ったもので、女房というより専門歌人と捉えたほうが正しい人です。

高貴な男たちから絶えず求愛を受けた、超絶モテ女の伊勢。
そんなドロドロした宮中の人間模様などおくびにもの出さず、ひたすらクールに頭脳的な歌を詠む。
伊勢の歌には、女の本音など微塵も見ることはできません。

伊勢の十首

(一)「春霞 たつを見すてて ゆく雁は 花なき里に 住みやならへる」(伊勢)
いわゆる帰雁を詠んだ歌です。春といえば春霞、春霞といえば花、というのが和歌的春の進行ですが、この春霞が立つ前に帰ってしまう雁は花がない場所に住んでいるのだろう、という少々ひねくれた歌です。

(二)「春ごとに 流るる川を 花と見て 折られぬ水に 袖や濡れなむ」(伊勢)
この歌では花弁が流れる(もしくは花が映る)川を花そのものに見立てています。その花は決して折られないばかりか袖が濡れてしまう、ということですね。

(三)「浪の花 沖から咲きて 散りくめり 水の春とは 風やなるらむ」(伊勢)
こちらも見立ての歌です。波しぶきを花に見立てています。
水の春とは面白い表現ですが、こういったセンスが伊勢が女貫之たる所以です。

(四)「五月こば 鳴きも古りなむ 郭公 またしきほどの こゑをきかばや」(伊勢)
五月になってしまえば、ほととぎすの鳴き声も古くなってしまうだろう。
和歌的五月と言えば夏も中旬です。この時期になれば、さすがのほととぎすも飽きられてしまいます。

(五)「難波潟 みじかき芦の 節(ふし)の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや」(伊勢)
「ほんの僅かの間」を芦の節に喩えたこの歌は、百人一首にも採られ超有名ですね。
女性たちの間ではまことしやかに胸キュン必至の歌、なんて語られていますが、男性の私からすると悪い冗談にしか聞こえません。
やはり恋歌は小町の方がはるかに魅力的です。
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(六)「知るといへば 枕だにせで 寝しものを 散りならぬ名の 空にたつらむ」(伊勢)
枕は何でも知っている! これは思わずハッとさせられる表現です。

(七)「あひにあひて 物思ふころの わが袖に 宿る月さへ 濡れる顔なる」(伊勢)
涙に濡れた袖に月が映る。このような象徴歌が後の新古今歌人たちに刺激を与えたのです。
つくづく伊勢の詠歌のバリエーションの豊富さには驚かされます。

(八)「冬かれの 野辺とわが身を おもひせば 燃えても春を またましものを」(伊勢)
男の訪れがなくなった身を冬枯れの野辺に喩え、それが野焼きによって春を待つように、あの人への思いで身を燃やして待つ。
かれに「枯れ」と「離れ」、おもひに「思ひ」と「火」を掛けるなんて、貫之も驚きの頭でこねくり回した超技巧的な歌です。

(九)「久方の 中におひたる 里なれば 光をのみそ 頼むべらなる」(伊勢)
この歌は要するに、私伊勢は温子様の御威光だけが頼りですという歌です。
同じ人(宇多天皇)を愛した温子と伊勢の関係は良好だったと言われますが、本心は当人たちのみぞ知るというもの。
とにかく伊勢はひたすらクールに歌を詠んでいます。

(十)「難波なる 長柄の橋も つくるなり 今はわが身を 何にたとへむ」(伊勢)
小野小町が老いを嘆くと「花の色は…」となりますが、伊勢の場合は「長柄の橋も新しく作られた今、老いたこの身を何に譬えようか?」です。これは俳諧歌に分類されていますが、確かに思わず笑っちゃう歌です。

こういう歌を知ると思います。伊勢は自分のためでなく、他者に楽しんでもらうために歌を詠んでいたのだと。

(書き手:内田かつひろ)


 
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