貫之様にインタビューしてみた ~古今和歌集 仮名序妄訳~

みなさまこんにちは、令和和歌所を運営しております和歌DJうっちーです。
今日はスペシャルゲストにあの「○貫之」様をお招きしました。
古今和歌集に対する思いをいろいろと聞いてみたいと思います。

和歌DJうっちー ※以下(DJ):こんにちは、貫之様! 憧れの貫之様にインタビュー出来るということで大変緊張しています。よろしくお願いします。
貫之 ※以下(貫):くるしゅうない。

(DJ):今日は古今和歌集について、いろいろと聞かせてください。
(貫):なんでもいいけど、早く終わらせてよね。僕、時間にはトコトンうるさいから。

(DJ):は、はい。承知しました。それでは早速。和歌はどうやって生まれたのでしょうか?
(貫):和歌というものは人の心を種として、見るものや聞くものに託して咲かせた言の葉なのだ。
(DJ):ほほー。

(貫):これは人だけでないぞ、生きとし生けるもので歌を唄わないものがいるか? ウグイスや蛙の声がいい例だ。分かるか? 歌は生きる力そのものなんだよ! 歌のパワーは男女を仲介し、荒ぶる武士の心を和らげる。それだけじゃないぞ、天地を動かし、目に見えない鬼や神様を感じることだってできるんだ!
(DJ):あ、熱いっすね! 和歌(わか)の基本がなんとなく分(わか)りました。あ、気づきました? 掛詞です(n*´ω`*n)
(貫):馬鹿にしてる? 僕が誰だか分かってるんだろうね。
(DJ):は、はい。技巧の天才、貫之様です!
(貫):だな。

(DJ):では次の質問にいきます。和歌が31文字の形式になったのはいつの時代なんでしょうか?
(貫):いい質問だ。これは出雲の地で須佐之男命(スサノオノミコト)が詠み始めたことが始まりだ。須佐之男命、知ってるだろ?
(DJ):もちろんです。天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟で、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した人ですよね。私、地元が奥出雲ですからよく存じています。うちの近くの山に大蛇の巣があったとかなんとかゴニョゴニョ(中略)
(貫):ふーん。ま、そうこうことだ。和歌は神代の時代から受け継がれた尊いものなんだよ。

(DJ):でも一時期人気がなくなっちゃいますよね。いわゆる和様暗黒時代なんて呼ばれる、万葉集から古今和歌集に至る150年くらいの間。
(貫):よく知ってるじゃん。なんとも恥ずかしい話なんだが今の世(僕の時代のことな)は派手好みになってしまって、流行に容易に振り回されてしまうようになった結果、なんとも薄っぺらい歌しか詠まれなくなったんだ。そりゃ人気も落ちるわな。一部の風流気取りの人間たちがひっそりと知る程度に落ちぶれてしまったよ。とほほ

(DJ):それが今(貫之様の時代)や、日本文化のスターダムにのし上がったじゃないですか! すごいですね~貫之様!
(貫):いやいや、これは僕がすごいんじゃなくて、醍醐天皇のお力だよ。醍醐天皇は日本の伝統を復興なさろうと尽力されたんだ。しかもそれだけじゃない、現在(これも僕の時代でね)に生まれた素晴らしい和歌にも目をとめられ、後の世に残こされようとしたんだ。そしてそれが形となったのが…
(DJ):のが…
(貫):「古今和歌集」だ!!
(DJ):しびれる~

(DJ):あ、もう時間が来てしまいました。最後に一言、和歌に対する思いを頂けますか。
(貫):うむ。歌の聖である柿元人麻呂は御大が亡くなって久しいこの世、たとえ時が移り変わり、楽しみ悲しみが過ぎ去っても歌の心は今に伝わっている。なんでか分かるか? それは歌の文字「ひらがな」があるからだ。「ひらがな」が歌を後世に残していくんだ。それに…
(DJ):それに?
(貫):歌の様や言葉の心を理解しているような人、君みたいな未来の人が、大空の月を見上げる様に昔の日本への思いを寄せれば、古今和歌集が出来たこの時代を恋慕わないことなんてないだろう。
(貫):和歌の心は、平成の時代にも生きているんだ。分かったか?
(DJ):はいっ!! 

(DJ):きょ、今日はあでぃがどうござびました、感動ぢました(ズッズ ※涙を啜る)
(貫):アディオス。
(DJ):これにて、貫之様へのインタビューは終わります!!

(書き手:歌僧 内田圓学)

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