清少納言 ~元祖!意識高い系OLの可憐なる日常~

「意識高い系」という言葉をご存知でしょうか?
これは「物知り顔で、実は中身のない人物」の俗称なのですが、平安時代にもこう揶揄された人物がいます。「清少納言」です。

清少納言は一条天皇の中宮定子に仕えた女房の代表格です。
父は後撰和歌集を編纂した梨壺の五人のひとり「清原元輔」、曽祖父は古今和歌集の代表的歌人である「清原深養父」。
いわば歌学エリートの生まれで、漢文の原書も余裕で読めるほどの才女でした。
こう聞くと「意識高い系」ではなく、実力を伴った「事実意識が高い女性」のように思えます。

ただ清少納言、同世代の紫式部に言わせるとこうです。

「清少納言こそしたり顔にいみじう侍りける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば まだいと足らぬこと多かり」
紫式部日記

「いつも得意そうな顔をして、偉そうにしていた女。利口ぶって漢字を散し書きにして得意がっているが、よく見ると、まだまだ足りないことが多い」
こりゃ完全に意識高い系じゃないですか!

いやいや紫式部、彼女は定子のライバルである中宮彰子に仕えていました。ですから清少納言に対する評価も自ずと手厳しいのでは?
…という訳でもないのが面白いところ。
実はかのエッセイ集「枕草子」には、紫式部が酷評するのもうなずける「意識高いエピソード」が満載なのです。

今回は一流企業さながら、後宮というオフィスで漢文や和歌の博識をいかんなく発揮し、名だたるエリートから賛辞を得た(自身曰く)、元祖意識高い系キャリアウーマンこと清少納言のエピソードをご紹介しましょう。
※清少納言の語りでお楽しみください

■意識高い系エピソード その1「草の庵 with 藤原斉信」

ホント一流企業のOLってのは大変よ、常に周囲から実力を試されるんだから。
この前なんかイケてるって評判の若手、頭中将(藤原斉信)からこんな挑戦的な手紙が来たの。
『蘭省の 花の時 錦帳の下』これに下の句をどうつける?」

ちょっと迷ったけど、こう返してやったわ、
「草の庵を 誰かたづねん」

実はこれ私たち憧れの唐詩人、白楽天の一節なのよね。
「蘭省の花の時錦帳の下 廬山の草堂夜の雨に独り宿す」

和歌とは違うのだよ、和歌とは! 女のわたしが漢詩を知ってるなんて、驚いた?
さらにわたしがカッコイイのは、この下の句をわざわざ消し炭使って書いてやったってとこね。
白楽天の詩の世界が、にくらしくも演出されてるでしょ♪

■意識高い系エピソード その2「春ここち with 藤原公任」

二月の終わりの頃、藤原公任氏からこんな手紙が来たの。ちなみに公任って言ったらあんた、役員クラスの大物よ。
「すこし春ある ここちこそすれ」

これに上の句を付けろってことなんだけど、これは大プレッシャーね。だって査定に響くかもしれないじゃない!?
まあ、わたしはさらっとこう返したけどね。

「空寒み 花にまがへて 散る雪に」
雪に紛れる花、といえば白梅ね。初春のイメージにばっちりじゃない!
だれ? ありがちだなんてディスってんの。この返し歌、めっちゃ評価高かったんだから。

■意識高い系エピソード その3「函谷関の関 with 藤原行成」

これ、だいぶ有名だけど知りたい?
とある夜の出来事よ。わたしとちょっといい関係だった男、藤原行成(三蹟の一人)がね、
わたしと逢引き中だってのに、ささっと自宅に帰っちゃったの。その翌朝の手紙に

「鷄の声に催されて」(鶏の声に急かされちゃって)…なんて言い訳してくるから、こうお返ししてやったのね、

「いと夜深く侍りける鷄のこゑは、孟嘗君のにや」(鶏のそれって孟嘗君のつもり?)。そしたら彼から…

「逢阪の関の事なり」(いやいや逢阪の関だよん)、だって!

これにはわたし、さすがにカチンときたから言ってやったわよ、
「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関は許さじ」(わたしの逢坂の関は、そんな簡単に超えさせねーよ!)ってね。

んで彼からの返し…
「逢坂は 人こえやすき 関なれば とりも鳴かねど あけてまつとか」(あれ、お前いつでもウェルカムじゃん?)

って、ほっんと失礼なんだけど。
まあでもこの私と対等にやり合うんだから、なかなかやるじゃん。

※1(枕草子 136段)

■意識高い系エピソード その4「香炉峰の雪 with 定子さま①」

まあこれも知ってるかもしんないけど、いちおう話とくわ。
ある雪の日のことよ。わたしの最愛の上司、定子さまがね、
「少納言よ、香炉峰の雪はいかならん」(香炉峰の雪はどうでしょうね?)とおっしゃったのね。

試されてんのよ、期待されてんのよわたし!
だからわたしね、御格子を上げさせて、すだれを高く巻き上げたの。
そしたらみんな大爆笑!!

知ってるでしょ、白楽天?
「遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、香炉峰の雪は簾をあげて看る」

もうね、大成功ってやつよ。

※2(枕草子 299段)

■意識高い系エピソード その5「言はで思ふぞ with 定子さま②」

これは涙なくしては語れない話よ。
殿(藤原道隆)がお亡くなりになった後にね、同僚の女房たちが私を左大臣側(道長)のスパイだなんて噂して、あげく私を仲間外れにしだしたの。もーほんとに悲しいやら辛いやらで長い間出仕しないで里に帰っていたの。

そんな時、わたしが敬愛する定子さまから直接お手紙が来たのね。
ただその手紙には何も書かれなくて、なんじゃこりゃって思っていたら山吹の花びらがヒラリ…
そこには「言はで思ふぞ」とひとことだけ書いてあったのよ! あんたわかる!?

「言はで思ふぞ」はこの歌よ
「心には 下行く水の わきかへり 言はで思ふぞ 言ふにまされる」

定子さまは「わたしとは直接お話はできないけど、心の中でちゃんと思ってる」っておっしゃってんのよ!
つまりわたしの潔白を信じている、わたしを案じてくださっている、ちゅーことよ。

ああ、定子さま、わたしの定子さま!
この身が滅びようとも永遠にお仕えいたします!

※3(枕草子 138段)

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※1(枕草子 136段)
頭の弁(藤原行成)の職に参り給ひて物語などし給ひしに、「夜いたう更けぬ。明日の御物忌みなるに籠るべければ、丑(午前二時ごろ)になりなば悪しかりなむ」と参り給ひぬ。
つとめて、蔵人所の紙屋紙(上質の紙)ひき重ねて「今日は残り多かる心地なむする。夜を通して、昔物語も聞こえ明かさむとせしを、鶏の声に催(さいそく)されてなむ」と、いみじう(たいそう)言多く書き給へる、いと、めでたし(見事だ)。
御返りに「いと夜深く侍りける鳥の声は、孟嘗君のにや。」と聞こえたれば(申し上げたところ)、
たちかへり「孟嘗君の鶏は函谷関を開きて三千の客わづかに(辛くも)去れり、とあれどもこれは逢坂の関なり」
とあれば、
「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ」心かしこき関守侍り。と聞こゆ。
またたちかへり、
「逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか」

※2(枕草子 299段)
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などしてあつまさぶらふに、「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。

※3(枕草子 138段)
殿(藤原道隆)などのおはしまさで(お亡くなりになって)後、世の中に事出で来、騒がしうなりて、宮もまゐらせ給はず、小二条殿といふ所におはしますに、何ともなく、うたてありしかば、久しう里に居たり。(略)
さぶらふ人たちなどの、「左の大殿(藤原道長)方の人、知る筋にてあり」とて、さし集ひ物など言ふも、下より参るを見ては、ふと言ひ止み、放ち出でたるけしき(仲間外れにする様子)なるが、見ならはず、にくければ、「まゐれ」など、たびたびあるの仰せ言をも過して、げに久しくなりにけるを、また、宮の辺には、ただあなた(道長)方に言ひなして、虚言(うその話)なども出で来べし。 (略)
心細くて打ちながむる程に、長女(おさめ)、文を持て来たり。(略)人づての仰せ書きにはあらぬなめりと、胸つぶれて、とくあけたれば、紙には、物も書かせ給はず、山吹の花びらただ一重を包ませたまへり。 それに、「言はで思ふぞ」と書かせ給へる、いみじう、日ごろの絶え間嘆かれつる、皆慰めて嬉しきに(略)

(書き手:歌僧 内田圓学)

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